鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

村上春樹みたいな文体でエッセイ書くな

 

あーさぞかし村上春樹が好きなんだろうなぁ...

という文体のエッセイを読んでいたんだけど、その気取った文体のまま離婚した時の話に突入されて、それがキモくてとうとう本を閉じてしまった。「こうして僕のひとつの季節が終わりを告げた」じゃねえのよ。

 

まぁ村上春樹が好きであるが故に、ああいう感じの文章になってしまうのは、わかる。そういうことってあるよね。わかるよ。でもこっちが村上春樹を読んでいると、わかっちゃうんだよね。もう俺くらいになると「あるいは」とか言われただけで反応しちゃうんだから。でもわかっちゃうが故に、身体中が痒くなってしまってな。友達がネットで仕入れた情報をそのまま喋ってるのを眺めている気分に似てるよ。「ひえーやめてくれー」みたいな。

そのくらいならまだ可愛げがあるのだけれど、その気取った文体のまま離婚の話を(しかも完全に自己都合の身勝手な)されると、身体中の痒みは次第に痛みに転じて、耐えきれなくなってしまった次第でした。

 

そういうわけで今日は虫の居所が悪かった。ただ単に本で気分を害しただけでなく、本を途中で投げ出してしまった自分に対しても苛立ちがあった。出されたご飯を半分残してしまった時の居心地の悪さによく似ている。

 

「ちぇっ」という感じだ。

 

なんとかこの地獄みてえな読後感を払拭したくて、できるだけ罪のない本を読むことにして本棚を漁った。結局読み途中の岡本真帆「水上バス浅草行き」を読むことにして、しばらく読んでいたら少し気分が落ち着いて楽になった。短歌はいかなる精神状態でも読めるからいいよね。それから毒を以て毒を制すじゃないけど、村上春樹を読めばいいのではないかと思って村上春樹回転木馬のデッド・ヒート」をめくってみたら一行目から「ここに収められた文章を小説と呼ぶことについて、僕はいささかの抵抗がある。」から始まっていて笑ってしまった。やっぱすげえよ。本家本元は。オリジナルにしか出せない濃度があるよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特別お題「今だから話せること