自分磨きは失敗しがち
本題にいくまえに「役割」についてのおはなしをしなければならない。
フランクリン・コヴィー著「七つの習慣」という自己啓発系の本を読んでいて、『人は様々な役割を同時に持っているのだから、それぞれの面において成長を目指さなければならない』というようなことが書いてあった。
例えば僕の上司は僕に対して「上司」という役割を担っているわけだけれど、社長の前では「部下」という役割を担うだろう。家に帰ったら「夫」であり「父親」になるのだろう。人はそれを無意識にきっちり切り替えて生きているのだろう。
上司がある日「父」として接してきたらやっぱり困るし、妻に対して「上司」のような言動をされたらむっとするだろうしギクシャクするだろうな、と思う。
そう考えるとここんとこ切り替え上手い人下手な人いるんだろうなーと思ったりして。
我が身を振り返れば「学生」であり「社員」であり、大学では「先輩」だし会社では「後輩」だ。家に帰れば「息子」であり「兄」であったりする。こう見えて僕もなかなか忙しいのである。
さらに考えて、我が家の犬は「ペット」であり「家族」であり「友達」であり、時には「遊び相手」であったり、実に多くの役割を担っている。意外と馬鹿にならない。
このときに僕が思いついたことをきちんと言語化してみる。
生ける全てのものには相互作用的に役割が発生していて、先天的・後天的を問わずそれは多面的な立体物として個のアイデンティティー(存在意義)を担う。
イメージ図。思いついて急いで手帖におこしたものだから見づらくて申し訳ない。
「自分」っていう曖昧でもやっとした、自分でもようわからん物体の周りを「役割」という多面的な殻が保護しているイメージだ。
シンプルな人はこの殻の面が少なく、無人島で超孤独に生きている人はそもそもこの殻を持たないだろう。(上記太字の提言通り、「役割」は相互作用が前提だからだ。「息子」なしに「父」はないし、「妻」がいないなら「夫」にはなれない。)
逆に色々な事情を抱えていたり、すごい多面的に活動している人だったらダイヤモンドみたいに無数の面を持っているのだろうと思う。
ダイヤモンドみたいに、と言ったけれどここには「役割面が多い方が偉い」というニュアンスはなくて、役割が多かろうと少なかろうとそれは対して重要ではない。
重要なのは自分の「役割」を認識していることだ。
例えば「自分磨き頑張るぞー」と思ったとして、その自分とは一体なんなのかということである。ようやく本題に入れた。
自分磨きが失敗しがちなのは「自分」の「どの」面を磨くのかを一切考えてないからだ。
仕事をしてる自分?
恋愛をしてる自分?
人と接しているときの自分?
役割という殻のどこを磨くかがわかっているからこそ「磨くにはどうすればいいのか」という段階に進めるのだ。例えば「大人っぽい人になりたいなー」っていうのは、果たして仕事におけるスマートな対応なのか、恋人として相手をリード出来るような自分なのか、趣味に打ち込む自分なのか。
「仕事」だったら、身だしなみを整えるとか、少し早く出社して実務を終らせるとかっていうのが自分磨きに直結してくるだろうし
「恋人」だったら、任せっきりじゃなくて自分でデートを企画してみるとか、ちょっとシックな服に挑戦してみるとか方法は沢山思いつきそう。
「人と接する自分」だったら常に"Win-Win"を意識してみようとか、コミュニケーションに関する本を読んでみるとか、言葉遣いを見直してみるとか
今こうして書き出してみるだけでも磨き方が随分異なってくるでしょ?だから「自分磨き」するのなら自分の役割をいちど全部書き出してみて、「さぁどこを磨こう」という本腰を入れなければならない。それをさらに書き出して初めて我々は「自分磨き」のスタート地点に立てるのではないか。
でもスタート地点にさえ立ってしまえば後は「実行」するだけだから、実はとても簡単なんだけどね。大切なのは準備すること。そして準備する前に理解すること だと思う。
おしまい