鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

自分年表をつくろう!

 

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自分年表をつくろう!

何のために?人生のコンセプトを見つけるために。

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

千葉雅也さんの『勉強の哲学』を読んでいる。

その中の第三章「実践編」で自分の年表をつくるようなことが勧められていた。

(かなり自分なりの解釈で進めている部分がありますがご容赦下さい...)

 

 

自分の現状のメタな分析によって、

勉強の可能性はきりがなく広がります。(中略)

 

いまの自分が、どういう他者に刺激され、

どういう大きな時代状況のなかで

このように構築されたのかを客観視するのです。(中略)

 

(年表に出てきたことを接続するような)その抽象的なキーワードは、

自分を無意識なレベルで衝き動かしてきた、

なにか大きな「人生のコンセプト」に相当する。 

 

人生のコンセプトは自分の半生から考察することができる。具体的には、半生の中で転機になった、つまり「自分で舵を切った」場面とその接続にフォーカスを当ててキーワードを抽出し、「人生のコンセプト」を仮に決定する。(本当の人生のコンセプトなんてものは決断しようがないとも言えるので仮に決定することしかできない。)

 

 

 

人は全ての行動を自分で決めて生きているわけではない。

いや、むしろあらゆることが環境や状況によって「決めされられて」いるとも言える。

 

 

 

確かに僕は今日、自分の服を自分で選んだ。

 

しかし、服を選ぶ過程で僕は「今日は雨が降る」「今日は会社に行く」「外は寒いが会社では暑いかもしれない」「洗濯中のあの服は着れない」といった数え切れない環境の干渉を受けて今日の服を「選ばされている」

 

お昼に蕎麦屋に行ったのは近くに蕎麦屋があったから。お金もなかったし。

子供の頃スイミングスクールに通っていたのは母親が熱心に勧めたから。

今自分がデザイナーになったのはテレビ番組でカーデザイナーを見たから。

 

「...だから人は偶然の積み重ねで出来ている」という話は今回はしない。

この結論に達すると人生に敗北したことになってしまう。

偶然の積み重ねだけで人が自分の運命を歩いているのだとしたら、

自発的に努力すること、挑戦することは虚しいだけだ。

 

実際、上記のような「決めさせられている」出来事の数々は本当に偶然だろうか。

 

蕎麦屋の近くにはカレー屋があったし、母親が他にも通わせた音楽教室やそろばん教室はちっとも続かなかった。カーデザイナーの番組は見たが、医療のドラマも、レーサーの中継も見たはずだ。僕は自分のこだわり(享楽)でそれらを選択している。

 

僕は確かに自分の人生を選択しているのだ。

 

 

人生の場面ごとで舵を切る原因となった「こだわり(=享楽)」を見つけ出すことで人生のコンセプトに出会う。そのために自分の年表をつくろうというのが今回のテーマだ。今回は『勉強の哲学』の手法を読みながら作業を進めるけれど、僕が作業する限りある程度のアレンジというか、都合よく進める部分も出てくるので本格的に年表づくりをやってみたい人はぜひ本書を買って見た欲しいと思う。

 

履歴書的な経歴を書く

作業は紙で進めてもいいが、PCやスマホでやることを勧められている。

たしかにやってみると色々加筆したり添削作業が多いのでデジタル上でやったほうが捗ると感じた。

 

まずは履歴書みたいに大枠の経歴を書く。

これなら誰にでもできると思う。

 

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それにしてもつまらない人生だな。 

とこの段階ではどうしても落ち込む(笑)

経歴を見ただけでは「ふむ」と行った感じで目新しさはない。

 

 

歴史的なニュースを書き加える 

次に自分の半生の前後で起きた歴史を加筆する。

著者の例では「第二次世界大戦」を書いていたが、あまり実感が湧かなかったのでもっと近い「ベルリンの壁崩壊」から書き加えてみた。

ベルリンの壁崩壊−そして彼は生まれた−....

なんてナレーションを脳内再生して一人でにやにやする。

実際、自分の経歴に歴史を加えるだけで

自分が大きな世の中の大河の中で生きていることがわかる。

正直、この時点ですげえ面白い。

 

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色を使ったり太字・大文字を活用すると見やすいがやりすぎると見づらくなる。

加減が肝心だ。大きなニュースから「iPhone発売」みたいな個人的に興味深いニュースを自分なりに加えるとさらによくなる。

 

自分が好きだったもの・細部を書き加える

それから年代毎に細部を考えて書き加える。

高校時代何部だった?何にハマっていた?

どんなものが好きで、夢中だった?あるいは何が嫌いだった?

 

あとは僕に大きな影響を与えた書籍を

読んだ年代に書き加えておいた。

 

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こうなるとかなり充実してきた。

僕の人生の転換点のひとつは「美大入学」なので、

なぜ美大を選んだのか?なにが僕を美大進学に衝き動かしたのか?

というところから逆算して考えてみた。

すでに年代と大枠があるおかげで楽しく年表を書き加えることができた。

 

 

原因を深堀りしてキーワードを書き出す

今年表が完成したところで、キーワード出しが完全には終わってないけれど。

とりあえず先ほどの年表からさらに原因を深堀して、どんなことをがあったのかをさらに書き加えたものを年表の完成形とした。完成したものがこちら!

 

軌跡

 

1989ベルリンの壁崩壊

1991年 バブル崩壊(失われた10年)

1992 東京生まれ

1995 windows95発売

    阪神淡路大震災

1998 小学校入学

・絵を描くのが好きだった。

・ずっと体が小さく運動が苦手だったので

昼休みはずっと教室にこもっていた。

・新しいことを発想するのが好きで通信簿に

“アイデアマン”と書かれる。

・中学受験を体験。塾でいじめにあう

2001アメリ同時多発テロ

2004 中学校入学

・図書委員長を担当。小説を読むのが好きだった。

・中学生から日記をつけるようになる。

・文章を書くのが好きになる。

2007 高等学校入学

2007世界金融危機

    iPhone発売

陸上競技部長距離に所属

東京モーターショーでデザインに興味を持つ。

・イタリアで活躍する奥山清之の番組に夢中になる。

→その影響で海外に漠然とした憧れを持つようになる。

→カーデザイナーに憧れて美大を目指すことに。

・美術予備校に入る

・文章で書いている内容が単に日記の枠を超えて複雑になってくる。

・文章上で自己との対話をしたり、思考の検証をするようになる。

→余白が足りず、日記帳をやめて原稿用紙で文章を書くようになる。

村上春樹ノルウェイの森

・奥山清之『フェラーリと鉄瓶』

吉岡徳仁『みえないかたち』

深澤直人『デザインの輪郭』

2010 美術大学入学

・写真に興味を持ち写真部に入部。

「もの」より「こと」のデザインに興味を持つ。

原研哉の影響でプロダクトそのものよりも

人の行為をより良い方向へアフォードするデザインに興味を持つ。

原研哉『日本のデザイン』『 DESIGNING DESIGN

2013年 ブログ『襟を立てた少年』

・本格的な文章の公開を始める。

・自分で思考する作業と発表する作業が初めて繋がる

・ドイツ語検定を受ける

・スタジオカメラマンとして働く

2014 会社に入社

アメリカ大陸を2週間かけて縦断

ロードバイクに乗り始める

2015年 パリ同時多発テロ

・恋人と別れ、親友を失う。

2016年 木更津トライアスロン 完走

・グループ展『日曜日のパレード』で写真作品を公開

・ブログ『襟を立てた少年』の読者が100人を越える。

・祖父が亡くなる。

・読売新聞を購読し始める

2017年 ハーフマラソン 完走

・読売新聞「気流」にエッセイが載る。

・仕事に慣れてきて周りが見えるようになる。

・慣れによる安心から自身の成長が停滞する未来に危機感を感じる。

・本を読む中で近い将来やってくるグローバルな世界の明確な形を予測するようになる。

→単一言語しか使えない自身の現状に危機感を覚える。

第二言語として英語を獲得しても不十分だと感じる)

→真の多様性の中に身を置いて改めて勉強したいと思うようになる。

→これまで漠然としていた海外への憧れと、

近い将来やってくる新しい世界で自分に求められることが繋がる。

・自分で英語学習をはじめる

・ブログ『滑走路のために』

・リンダグラットン『WORK SHIFT』

・岡田栄造『海外でデザインを仕事にする』

 

 

僕が自分の年表からひねり出した(連想した)キーワードは以下の通りだ。

「デザインをデザインする」「ものよりこと」「考えることを考える」「書くことで世界との接点を見つめる」

 

うーんいまいちパッとしないけれど、人生のコンセプトは確かにこの辺りにある気がする。今までちっとも意識しなかったけれど僕の人生にはずっと文章を書くことがあって、下手すれば僕の本業のデザインよりも文章を書くことのほうが僕の人生の本質なのでは...?!?!などと考えるとギクリとする。

『勉強の哲学』でもあるとおり年表で導き出された「人生のコンセプト」も仮のものに過ぎず、結局は生きて行く中でそれは転換したり揺らいだり覆されたりするものだということを忘れてはならない。

 

今はこの年表を添削しながらもっとキーワードを出しているところ。

『勉強の哲学』の最終章も読み切っていないのでそこも合わせて進めたいと思っている。

 

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

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ゲンロン0 観光客の哲学

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読んでくれてありがとう。

おしまいー!

 

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