「授業では紙辞書を使いなさい」
中学に入ったときに英語の授業で「紙の辞書を買いなさい」と言われた。
「先生、電子辞書じゃだめなんですか?」といっても「駄目です」の一点張り。
結果的に中学ではクラス全員が紙辞書を使っていたっけ。
高校に入ると「紙辞書を使え」とは言われなかったものの、電子辞書より紙辞書のほうが望ましいみたいな雰囲気があった。わりには、ほとんど全員が電子辞書を使っていた。だって最近の電子辞書はすごい。ここで学生の中で「結局電子辞書っしょ」という風潮が出来上がっている。逆に紙辞書使ってるやつはお金がないか、超真面目クンみたいなレッテルを貼られたりしてさ。
大学に入ると英語を選択必修で取らされるんだけど、紙辞書使ってる奴なんてどこにもいなかった。わからない単語は電子辞書で調べて、おしまい。あるいはスマホでひょいひょい調べられる。逆に紙辞書を懸命に使ってる僕が先生に怪訝な目で見られたりして、「そりゃないぜ」って内心失望していたのだ。
道具が新しいテクノロジーによって機械化の一途を辿る時、そこには必ずアナログとデジタルの対立と軋轢が生じる。昔からそうだった。フィルムカメラとデジタルカメラ。鉛筆とシャーペン。本と電子書籍などがそれだ。
今フィルムカメラを使っている人がどれくらいいるだろう?そもそも今のティーン世代にフィルムを入れることが出来るのか?5年前まではフィルム市場にも勝機があった。トイカメラやクロスプロセス加工のようなものがあったからだ。「味がある」「あえて古い感じを出す」ためのフィルムカメラはトイカメラを中心として森ガールの間で流行り出したが、そのあとすぐに出た"instagram"等のカメラアプリによって下火になってしまった。
鉛筆は今でも場所によっては大いに活用されている。例えば受験等に使われるマークシート。あるいはデッサンなどで。シャーペンにはない点を確立してうまく生き残ったといえる。
本と電子辞書の争いはまだ始まったばかりだが、今のところ本に歩があるみたいだ。ただ電子書籍も文中のわからない部分を指すことで即座に"wikipedia"にアクセス出来たり、しおり機能・ラインマーカー機能を搭載して、着実に本を越す為の力を蓄えている。
さて、紙辞書はやはり電子辞書に負けてしまったのだろうか?
学生だって好き好んで紙辞書を使っているわけじゃないだろう。紙辞書と電子辞書どちらか好きな方を使いなさいと言われたら誰しも電子辞書に飛びつくだろう。
「紙辞書のほうが調べる手間があって言葉を覚える」だなんて今の学生からすれば「バスに乗るより歩いた方が道を覚える」と言われているようなもので、そりゃそうだろうけど楽だからバス乗るよ。疲れるし。というのが彼らの言い分だろう。
ここで電子辞書と紙辞書を比較してみる。
[ 電子辞書 ]
メリット
・軽い
・場所を取らない
・検索が楽
・例文が豊富
・バックライトで明るい
・音声を読み上げてくれる
・国語辞典と英和などが一緒になってて便利
・機能が豊富
デメリット
・高い
・電池が切れたら使えない
・記憶に残りにくい(?
[ 紙辞書 ]
メリット
・安い
・適当にパラパラ読める
・必要なところを折ったりラインマーカーひいたり、自分流にカスタムできる
・使い込むと頑張った感が出る
デメリット
・場所を取る
・重い
・コーヒーこぼしたら臭い
・暗い所で読めない
・例文は少ない
・字を大きくしたりできない
・調べるのに時間がかかる
・劣化する
こうやって比べてみると紙辞書が廃れていくのは当然のように思われる。
にもかかわらず、僕は紙辞書を使い続けている。理由は当然第一に「好きだから」というのがあるが、
(はーい注目ー!)
個人的に語学を学習する際においては
電子辞書には真似出来ない使い方がある。
例えば独和辞典で"uber legen"(じっくり考える)っていう単語を調べたとする。
そうするとページ一面が"uberなんとか"っていう単語で溢れていて、次のページもその次のページも"uberなんとか"で埋まっている。実はドイツ語には"uber"で始まる単語が山ほどあるのだ。
"uber"っていうのは「超える」っていう意味があって、(「UVERworld」はここから来てる)、つまりuberから始まる単語は「度を過ぎている」ような言葉に入ることが多い。
uber leben = 生き延びる
uber laufen = 吹きこぼれる
uber lastet = 過度な荷物を積んでいる
英語にしても"inter"で始まる単語なんて掃いて捨てるほどある。
「international・intermission・interval・interview」など。"inter"には「中・間・相互」というような意味が含まれているので、単語ごとに少しずつ意味の根底が似ている感じがするのである。
このように紙辞書で単語ひとつを調べることで、その言語全体に共通するルールが少しずつ見えてくる。ふとした拍子に今調べたところと前に調べたところに繋がりがあったりして、丸暗記する単語同士が奇妙な結びつきをもってひとつのルールが浮かび上がってくるのだ。
英語・スペイン語・中国語・ドイツ語・フランス語、なんでもいいけど、言語の単語ひとつひとつには必ず起源があって、ゆえにルールが隠されている。そして大抵それは参考書には載っていないし、ましては電子辞書で推し量ることもできない。紙辞書だけの特権なのだ。
受験を終えて、個人的に言語を喋りたいと願う。「結局6年間英語習ったのに喋れるようにならなかったじゃんか!」とか、「この言語せっかくだから喋ってみたい!」という気持ちは必ずいつか芽生える。そのときにふと紙辞書のことを思い出して欲しい。
そして本屋に立ち寄って同じ言語の違う出版社の紙辞書を読み比べて自分にあった一冊をぼろぼろになるまで読みながら、言語の奥底に横たわる大きなルールを自分で見つけ出してほしい。