頭の回転が速い人
新宿西口を歩きながら一人考え事をしていた。
「頭の回転が速いってどういうことなんだろう。」
「頭が良い」と「頭の回転が速い」っていうのはちょっとニュアンスが違うと思う。もっと言えば「頭が良い」からと言って「頭の回転が速い」とは言えないし、「頭の回転が速い」人イコール「頭が良い」と言い切ることは出来ないということだ。
これはイメージだけれど、「頭の良い人」は記憶力・発想力・計算力・応用力・知識を兼ね備えた人のことだ。つまりは理系に求められるあらゆる基礎能力の総合点だ。
しかし証明問題で例えるならどれだけ頭が良かったとしても、上記の能力を全て持っていたとしても、時間内に問題を解かなければ意味がないのである。
友達だと思って接してきた異性に突然告白されて、相手を傷つけずにお断りするとき。
サッカーのゲーム中に相手プレイヤーに挟まれて、ボールを前に蹴るか後ろに戻すか決断しなければならないとき。
手がつけられないほど怒ったお客さんにすぐに謝らなければならないとき。
求められるのは頭の良さではなく、頭の回転の速さだと思う。
新宿西口の雑踏でこんなことを考えていたのは僕自身頭の回転が速くないという自負があったからだ。
人と会話して、それが終って30分くらい経ってから「あぁあの時ああいえば良かったんだ!」とか、「あの時の言葉にはちょっと嫌みが含まれてたんだ!」というようなことに気付くことが多い。人との会話を振り返り内省するのは良いことだが、頭の回転が遅いからリアルタイムでグッドな返しをすることが出来ないのでは?という不安が頭をもたげたのだ。
頭の回転さえ良ければ、瞬時に良い返しで相手を関心させたり、もっと機転の効いた言葉で相手を救うことが出来るんじゃないか。
"回転が速い"という表現は、つまりモーターの回転から派生して生まれた言葉だろうと思う。実際に人の頭は回転したりしないから、そう考えるのが自然だ。
確かにモーターと脳はエネルギーを食みながらその対価として運動を生み出すという点においては良く似ている。うまい表現をしたものだと思う。
我々は睡眠を取ることでモーターを冷却し、本を読むことでモーターを鍛え、笑うことでモーターに潤滑油を注いで暮らしているのではないか。
もう少し僕が突っ込んで考えたことを聞いて欲しい。
「頭の回転の速さとは、定義した命題に対して自問自答を螺旋状に繰り返して回答に辿り着くまでのスピードのことである。」
注目して欲しいのは、僕の定義した説の中において、思考とはただ回転しているのではなく螺旋状をしているという点だ。
これはフェーゲルの弁証法のように"上から俯瞰して見れば同じところを円状に回転しているように見えるが、正面から観察すると
a→a'→a''→a'''
というように同属性の点が上昇していくのである。
さらに言うならば、頭の回転の中で、螺旋のY軸幅が狭ければ狭いほど人は注意深く物事を考えていることになる。例えるなら安っぽいモーターは原チャリのような甲高い音を立てて回転するが、高いモーターは芯のある力強い音を響かせて回転する。これはモーター内部のコイルの密度の問題である。つまり脳の瞬発力が高いだけで中身を伴わなければ意味がない。シュートがヘタクソなサッカー選手が誰より足が速くても意味がないのと同じで、回転が速い脳は密度を伴って初めて重宝されるのだ。
命題=p
解答=q
自問=a(a',a'',a'''......)
自答=b(b',b'',b'''......)
思考密度=y
だとするならば、
q=y(a+b)
と表現できるかもしれない。美大上がりの文系脳ではこれが精一杯だけれど、こんな感じのことを考えながら僕は新宿を歩いています。ちなみにこのメモ書きはとっさにモレスキンに書きなぐったことを改めて清書したものです。