ゴッホの耳
後藤太一は生まれつきの障害で片耳がなく、その耳は最初から耳としての機能を完全に放棄していた。耳があるべきだった部分はやけどの跡のように少し変色し、皮膚がひきつったりよれたりしていて、要するにそれは痛々しく見えた。
とはいえ、世間が障碍者に期待するような過酷な未来や感動的なハートフルストーリーはそこには存在しない。正確には後藤太一にもこの先にそんな未来が待ち受けているのかもしれないが、その確率は一般人と完全に同じで均一なのだ。
いずれにせよ小学6年生の後藤太一にはそんな難しい話はわからない。小学生にとって重要なのは今日のことと明日のことだけなのだ。
後藤太一はまず「ゴッホ」という渾名で知られていた。
絵が天才的に上手かったわけでもなければ弟を溺愛していたわけでもないし、ましてや畑の真ん中で耳を切り取ってしまったわけでもない。6年生の最初の朝礼で新しい担任の先生が後藤の耳を認めるなり「おいおい、ゴッホみたいだな!」と言ったのが始まりだった。
この先生は美術の先生で、ずうっとあとになって聞いてみると「マジでゴッホみたいだと思った」というだけで他意はなく、後藤太一の(以後ゴッホと呼ぶ。友達も先生も彼をゴッホと呼んだ。)外見を揶揄う意図はなかった。
だが世間はそんな風には解釈してくれない。その場に居合わせた生徒、要するにクラスメイトだが、彼らが家に帰ってカレーライスでも食べながら母親に「今日ゴッホがさ」なんて話すと、「どうしてゴッホって渾名なの?絵が上手いのかしら?」と返って来て、それに「いや、なんか先生が”お前がゴッホみたいだ"って言ってたから。そうそう、あいつ耳がかたっぽ聞こえないんでしょ?そういうのショーガイシャって言うんでしょ?」と答えるわけである。
それを聞いた親は「生徒にそんな渾名をつけて揶揄うなんて!」と顔を真っ青にして、早速PTAの議題として提出して騒ぎが大きくなった。
それで結果として先生は担任から副担任に降格処分になってしまう大事となった。
ゴッホはそういう一連の騒ぎを眺めて「大人って大変なんだな」と思った。ゴッホは傷ついたわけでもないし、先生に悪意がないのもわかっていた。というか、先生とおれの間の会話に、なんで他のやつらのお母さんが出てくるわけ、と思うとむしろそっちに嫌な気持ちがしてきた。
むしろ考えてみれば、これまでゴッホを受け持って来た先生は、ゴッホの耳を見るたびに気まずそうな顔をして目を逸らしたり、「これから大変だと思うけど、負けないで頑張るのよ」なんていう謎の励ましをよこしてきたりして、はっきり言って不愉快だったのだ。
散々PTAに叩かれて降格処分も受けた先生は授業の第三回目で「でもな、ゴッホの絵はすごいんだぞ」と熱く語り出したりしたからちっとも懲りていないことがわかった。
ゴッホは周りの声を片耳でききながら、
自分のない耳が少し許せるようになっていることに気付いた。