鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

金の月

 

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旅行代理店に勤める哲也は思いの外早く仕事が片付いてしまい、かといって帰りに寄るところもなくて結局真っ直ぐ家に帰った。10月の涼しい夜だった。高校を卒業してそのまま就職してから4年が経つ。なんとなく家探しも面倒で実家で暮らしている。

 

家の中は真っ暗だった。

父親はまだ会社にいて、母親もパートで出ているだろうし、姉は去年嫁にいってもうここにはいない。リビングのソファーに鞄を投げ出してネクタイを外した。時計を見ると20時20分だった。そういえばこの時計は小学校のころからあるな、とぼんやり思った。

 

台所で水を一杯飲んだ。誰もいない自宅は恐ろしく静まり返っていて、ゴクゴクと水分が喉を伝う音が家中に響いているみたいな気分になった。

水を飲み終えるとコップの口を洗って戸棚に戻して自室のある二階にあがった。

自分の部屋の電気をつけると一拍おいてからそっけない光が見慣れた景色を照らした。ずっとそのままにしてある勉強机や古びて禿げたフローリングの表面は何かを待っているようにしんと押し黙っている。まるで世界が滅んで、何かの手違いで自分ひとりが生き残ってしまったような寂しさが部屋じゅうに充満していた。

 

それから哲也はスーツをハンガーにかけてからベランダに出るとフィリップモリスの煙草を胸から取り出した。仕事が終わって家に帰ったら煙草を吸うのが哲也のお気に入りの習慣だ。慣れた手つきで煙草をくわえて100円ライターで火をつけた。煙草の先端がシリシリと小さな音を立てて燃えると青白い煙が流れるように空に舞った。

そういえば煙草を外で吸うのは姉貴がいたからだ、と哲也は唐突に思い出した。姉貴の澪は親の仇かってくらい煙草の煙とその匂いを憎んでいて、昔あんまり外が寒いので哲也が自分の部屋で煙草をふかしているとドアがノックもなしに思いっきり開いて、「外で吸え!」と大声で怒鳴られたのだ。確かその時は1時間も説教を食らった。

 

そんな姉貴も嫁に行って、もう家にはいない。それでも必ずベランダに出て哲也は煙草を吸っていた。部屋で吸ったら今にもそこのドアが開いて姉貴が飛び込んでくるんじゃないかという恐怖が染み込んでいるのだ。パブロフの犬みたいなものだろうか。それもちょっと違うか。人差し指と中指で挟んだ煙草の口の部分を親指の爪ではじいて灰を落とす。

 

するとふいに強い風が吹いて、はじいた灰をさらっていった。その風に雲が流されたのか、金色の満月が顔を出した。普段は空なんかみないのに、確かに今日は不思議とのんびり月でも見ていたい気分だった。月は真新しいコインのように丸く、ぴかぴか光っていてベランダから見える電柱や向かいの家の瓦をなめらかに照らした。その辺の草むらから虫の声が聞こえる。キリギリスだかコオロギだかわからないけれどその音が小さいながらも共鳴していて、自分と月との関係を、より明確なものにしているような、そういう種類の音だった。

月に見とれていたら、ポケットの携帯電話がブーンと震えているのに気づいた。仕事の電話かと慌ててとると、古い友達の後藤からだった。

 

 

「もしもし?」

「ああおれだけど。」

「なんだ久しぶりだな、元気か。」と言うと

「親父みたいな物言いだな。」と後藤がケタケタ笑った。

後藤は中学高校と同じクラスで、毎日一緒に弁当をつついていた仲だ。哲也が就職してからは次第に会うことも少なくなり、連絡はいつでもできるが、いつでも出来るからこそする必要もないかな、というような心持ちだった。ひょっとしたら、学校という同じステージから出てしまって、それでもちゃんと今までのように笑い合えるのか、色んなことを話していけるのか、それが怖くて距離を無意識に置いたのかもしれない。

おれは何もかもを仕事の忙しさのせいにし過ぎてきたのかもしれないな、と哲也は思った。

 

フィルターまで火がきて、とうに消えてしまっている煙草を吸おうとして、灰皿に捨てる。

後藤の声は相変わらず少しだけ甲高くて、まるで自分だけが歳を取ったような気にさえなった。後藤はいつものあの教室から電話をかけて、時空を越えて電話を寄越しているのだ。

 

 「ところでお前さ、葉子って覚えてるか?ほら、昔おれが……」

「忘れるわけないだろ。ああ、懐かしいな。昔お前が葉子さんに告白したとき言い争いになったよな。あのときは笑ったなー。」

「あったなそんなこと。なんか、本当に楽しかったよ。毎日がぴかぴかに輝いててさ。お前もそうおもうだろ?」

「そうだな。なんというか、金色だったよ。」

 

金色な。今ももちろん楽しいけど、あれはあれだな、二度と帰ってこないから綺麗なんだな。と後藤がぼそぼそ言って一人で笑った。向こうの風が強いのかびゅうびゅう言っていてその後がよく聞こえない。

 

「あ、なんだよ。声がちいえせよ。」

「いや、それよりさ。その葉子が今度うちの街の公会堂でピアノの公演やるんだってさ。それでこないだ久しぶりにあの子から電話かかってきて。もーびっくりしたよ!声が全然変わんないの。澄んでて、心にすっと入ってきてさ。それで嫌みっぽさもなくて。なんかおれ、時間がたったからかもしれないけど、あの学生生活はさ、ひょっとしたら葉子が中心だったんじゃないかって思うよ。変な話だけど。

おれなんかはさ、ガキの頃から世界の中心は自分で、自分が主人公なんだー!って信じて疑わなかったけど、ああいう、なんだか揺るぎない人に初めて出会ってさ。おれならこういう人が主人公の物語を読みたいなって思ったんだよね。なぁ、きいてるか?」

きいてるよ、と返しながら哲也は後藤の真っ直ぐさ、正直さがちっとも損なわれてないどころか、もっとその強さを増していることに驚いて、同時に嬉しかった。

今、後藤に会いたくてたまらなかった。

 

「でもやっぱりお前の主人公はお前でいいんじゃないか?」と試しに言ってみると、「ならお前の主人公もお前だな。」と後藤が返す。

「おれなんて主人公になりゃしないよ。お前みたいに人生波乱万丈じゃない。」

そしてそんなお前が少し羨ましかったんだ。とは口に出さない。

 

「とにかくさ、葉子がおれとお前のチケット用意してくれてるみたいでさ、来いよ。絶対だからな!葉子が誘ってくれてんだぞ。皇族の誘い断るのかおまえは!」

うるさいなぁまだ断ってないだろ。と笑いながら、仕事のスケジュールを思い浮かべてる自分がいた。なんとか詰めればいけるかもしれない。今こうして後藤と話すことができて、何の種類かわからないけど勇気が湧いてきた。

 

 

あんまり後藤の側の電話がびゅうびゅううるさいのでどこにいるのか聞いたら「長崎だ。」と言う。どうしてこいつからは「近所のコンビニだ。」とか「駅のホームだ」みたいな平凡な答えが返ってこないんだろう。そうそう、昔からこういうやつだったなと哲也は思った。

 

「なんだよ旅行するならうちの店こいよ。」とちょっと意地悪で言ってみると

「ばかいえ、お前の店舗にわざわざ出向いて高速バスのチケット買ったんだぞ。お前なんで社員のくせにいないんだよ。」と返してくるので驚いた。驚いた拍子にライターを落としてしまった。

「おれは窓口担当じゃなくて奥でパソコン打ってるんだよ。っていうか前もって電話しろよな。」ついつい学生みたいな早口になってしまう自分に気づく。口元が緩む。

そっかーそういうのもあるのかーという後藤の独り言を聞きながら、哲也は葉子の演奏会の日を想った。

花束かなんかを受け取った葉子がいて(もちろん美人なままで)、葉子と仲良くしていた友達たちもいて、それからちょっと照れくさそうにぶっきらぼうに話す後藤がいて。絶対行こう。死んでも行こう。金の時代を思い出しに、みんなにまた会いに行こう。と哲也は強く思った。

 

 

 

哲也と後藤の中学時代はこちら

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葉子の中学時代はこちら

 

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