ほんとうは責任の重力は言葉ひとつで調節できる
後輩が仕事のスピードについて負い目を感じているようなので
つらつらと考え事をしていた。
「自分のせいで仕事の進行が遅れて〜」という人に対して「気にしなくていいよ!全然大した仕事任せてないんだから!」なんて希薄なことを言えば、たちまち相手はやる気をなくしてしまうだろうし、逆に「頑張らなくちゃ。全部君次第なんだぞ!」なんて言った日には責任に押しつぶされてしまうだろう。
責任について悩んでいる相手に言葉をかけることの、なんと難しいことだろう。
そういうわけで、今日は
責任の重力について
仕事をするということは、責任が伴うということだけど、その責任を重く感じさせるか軽いと感じさせるかは、与える側にある程度委ねられる。当然、責任感のある人なら何でも責任重大に受け取りがちだろうし、軽快な人であれば何でも軽く感じるだろうと思うけれど。
このさじ加減は、仕事を与える相手によって加減されるべきものだと僕は思っている。重たすぎる責任を与えれば人は潰れてしまうし、責任がなければやりがいがなくなってしまう。また、何でも重く捉える人には「そんなに重く考えなくていいよ」と伝えて、軽く捉える人には「ちゃんと任せたからな」と伝えるのが吉だと思う。
図にするとこういうことになる。
責任が重ければ「よし、自分がいなくちゃいけないんだもんな!やるぞ!」とプラスの効果があるけれど、「自分のせいで失敗したらどうしよう」というマイナスの効果も与えかねない。
責任が軽ければ「このくらいなら絶対大丈夫!やってみよう!」とプラスに働くかもしれないけれど、「別にこの程度のこと自分じゃなくても...」とやる気を損なうマイナスに働く可能性だってある。
仕事を与えるときに「これは責任重大だぞ」と言われてやる気を出す人と、「そんなに責任はないから気を楽にやりなさい」と言われてやる気を出す人がいるという話である。
この責任の重さに0%から100%まであるとして、それは0%であってはならないし、100%であってもならない。ほどよく加減して、20%とか40%とか、あるいは60%とか80%を与えるべきだ。
重力にしたってそうだと思う。
重力がなければ人はそこに留まらず、ふわふわとどこかへ飛んで行ってしまうだろう。逆に、重力が強すぎれば人は地に打ち付けられ、立ち上がれなくなり、あるいは潰されてしまう。こうして今日われわれが生活できているのも、日々適度な責任の重さが自分に対してかかっているからなのではないか。
うおー...今日のは決まったゼ....
おしまい