鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

初めてのハーフマラソン(前編)

 

ランニングシューズを履いてこどもの国にきた。絵空事を言っているのではなくて、横浜市に「こどもの国」という名前の土地があるのだ。父宛に来た年賀状の住所に「こどもの国xx-xx-xxという表記があって笑ったのを思い出す。「どちら出身ですか?」に対して「こどもの国で生まれました」なんて答えたらちょっと距離を置かれちゃうかもね。

 

まあいいや。こどもの国に来た。土曜日のお昼、ハーフマラソンの開催日ということで家族連れでにぎわうこどもの国のチケット売り場は今日だけはランニングシューズを履いたアスリートが埋め尽くす。レースはクリテリウム式で、1周4.2kmのこどもの国を5周する。ちなみにフルマラソンもあるので彼らは10週することになる。目が回りそうだと思うかもしれないが4.2kmってすごく長いので目は回らないです..。

入口を入ってすぐのところで受付登録を済ませる。周回数とタイムを計測するための受信機を張り付けられたゼッケンを受け取って、その辺のベンチで自分のウェアに取り付けた。あたりを見渡すとけっこう家族連れが多くて、お父さんはハーフマラソンにチャレンジ、子供たちは1kmくらいを走る「こどもレース」みたいなやつに出場という算段のようだった。「家族っていいよね俺も結婚したいし子供欲しい」と謎の感傷に浸りながらこれから走ることになる道を散歩した。

なんでハーフマラソンなんか走ることになったんだろう。せめてもう少し暖かくなってからでも良かったじゃないか。という気持ちがむくむくと起き上がってきた。どうしてだけ...そうだ、こないだ酒を飲みながらネットサーフィンしたときに勢いで申し込みしてお金を振り込んだんだ!一晩の酔っ払いの勢いで僕はこれから2時間かけて21kmを走る。やれやれ、と僕は思った。

 

1kmくらい歩いて、このこどもの国のコースについて一つの結論に辿り着いた。「このコースむちゃくちゃ過酷」。とにかくアップダウンが激しすぎる。トレイルランかよってくらい急斜面を登ったと思えば今度は延々と坂を下ることになる。走るのは自転車に乗るのとは違うので下りは下りですごく疲れる。下手すれば上り坂より疲れるくらいだ。ハーフマラソン、と聞くと何となく平たいところを走り続けるイメージがあったのだけれどそれはこっちが勝手にイメージしていただけでこどもの国には非がない。僕は振り上げた拳を降ろす相手を見つけられないままスタート地点へと戻っていった。

 

いよいよハーフマラソンの出走時間になった。走っている間は風が目に当たって乾燥することでコンタクトレンズがごろごろしてしまうので透明なサングラスをした。それからウォークマンとイヤホンをセットした。なにしろ2時間だ。長い旅路になる。

スタートまで残り10秒です!というアナウンスが聞こえた。僕は唐突に映画「風が強く吹いている」に登場する陸上部部長のハイジ(小出恵介)の台詞「俺は知りたいんだよ。走るって、どういうことなのか。」を思い出した。それから連なるようにして映画「ピンポン」に出てくるスマイルの台詞「うん。....やってみる。」が浮かんだ。「スタートです!」というアナウンスと同時にピストルがなった。小学生のころはいつもかけっこはビリだったけどピストルの音を聞くとすごくわくわくする。

 

とはいえ、最初は実にゆったりと走った。そして僕の順位は最後尾であった。レースで変に前のほうや真ん中のほうにいるとロクなことがない。まず最初はだれでもハイペースになりがちなのでその空気に飲まれて間違ったペース配分で飛ばしてしまうリスクがとても高い。それから抜かされるときの焦燥とかを考えると、最後尾から人を抜いていった方が気分がいい。それで僕はレースのときは大体最後尾から始める。だいたい今回は21kmもあるんだから、ゆっくり取り返せばいいじゃないか。それでゆったりと走った。1kmくらい進んだところでようやくランナーたちがばらけてきて走りやすくなってきた。それを縫うようにして抜かして前に進んだ。最初の10kmはちょっとした準備運動をするような気持で。そうでもしなければ後半でガクっと限界がきてしまう。とにかく今回の目標は完走すること。それから2時間を切ることだ。

それから少しペースを上げながら前へ進むと運営側のゼッケンを着た男性二人を見つけた。背中のゼッケンには「ペースランナー2時間00分」と書いてあった。つまり、彼らのペースは2時間をきるくらいのスピードというわけだ。僕は3kmくらいかけて彼らの後ろについた。これに乗っていれば2時間切りは硬いぞ、と自信満々の気持ちになった。この2時間切る集団は一般人が4人くらいいた。僕は瞬時に彼らにあだなをつけた。「リーマン」「ゆうこ」「ブロッコリー」そして僕だ。

他にも「フラミンゴ」とか「マシン」とか「鼻たれ」とかいたんだけど、周回数を重ねるうちに消えていなくなった。僕たちは走りながら一切口を利かなかったけど、黙ったままの中でも不思議な連帯感というか一体感があった。「俺たち」という空気が間違いなく2時間ペースグループの間に横たわっていた。僕は1周目から4週目までそこでお世話になった。

 

 

つづく