映画館おひとりさま主義
美術予備校時代からの友人とボルダリングに行く話をしていて、そのときにちょうど僕は「エリックカール展」(はらぺこあおむしの著者の展示)が今月から始まることを思い出した。
それで、まあお互い分野は全然違うけど美大出身ということで一緒に行ったら面白いんじゃないかと思って「エリックカール展観に行こうぜ」と誘ったら「私は美術館はソロ鑑賞派だ」(=人と美術館行かない主義)という独白を受け、「人と美術館いくの苦手とかじゃなくて"派"ってすげえな。派閥に属してるってことだもんな...。」とその意思の強さに感心したのであった。そして彼女の行動規範と我々の友情はなんの関係もないので、僕はちっとも気を悪くしなかったし、むしろ「今回の件はオモロいと思って一考の価値があるのでブログの記事にします」と一方的に叩きつけてパソコンを立ち上げた次第である。とここまでが経緯ね。
その気持ちわかるぞ、と細胞が言った
そういえば僕は映画館は一人で行く派だ。
絶対に一人ってわけじゃないけど年間で映画館に10回行くとして、うち6回か7回は一人で行ってるとおもう。なんでだろうって考えた時に冒頭の友人の「私は美術館はソロ鑑賞派だ」に通じるところがあるんじゃないかと思って考察した。
前述の通り僕は人と映画館に行くこともある。そのときは無理して行ってるわけでも合わせてるわけでもなくて、それはそれで楽しんでいる。そしてそれは必ず娯楽映画だ。「遊戯王」とか「ドラえもん」とか「ガールズ・パンツァー」とかね。
つまり僕は娯楽映画は人と観に行くが、そうでないものは一人で行くことが多い。
まあ最近はプライムビデオがあるからわざわざ映画を見るために外に行くということ自体が少なくなっているんだけどね....関係ないけど古本屋とか映画配信サービスとかって新しい作品をつくる文化を確実に衰退させるモデルを構築しているようにしか見えないんだけどそのあたりって大丈夫なのかな...??なんか映画のDVDをわざわざ買う行為も「円盤買って製作陣に貢献」みたいな発言に置き換えられて「募金して赤い羽根を貰おう」くらいの勢いがあるじゃないですか。何かがおかしいと思ってるよ!うまくまとめられないけど!
でなんの話だっけ。
そうそう、映画は一人でいくことが多いですよ。
実家がショッピングモールのすぐ近くにあって「あ映画観たい」って思ったら上映10分前に家を出て上映に間に合うという神環境だったんだよね。それで結構色々映画を観てたんだけど去年初めて一人暮らしなるものを始めて、サイクリングロードまで徒歩1分なのは楽しいんだけど(こないだは夜22時にビール片手にBUMP OF CHICKENのライブ音源をヘッドフォンで聴きながら両腕振り回して河川敷を歩いていた)映画館が近くになくなったので見る機会はどんどん減って行ったんだ。それでも映画は一人で観に行くことが多いな。どうしてだろう。ってやっと核心まできたけど、3つ思いついたのであげますね。
自分の歪んだポリシーを人に押し付けたくないから
かつて親しい友人だった男は映画館でポップコーンを食べることを愛した。映画館でポップコーンを食べるのはすごく普通のことだしむしろお前なんで食べないの?って感じだろうけど映像と音の世界観に浸ってる最中に食事をするっていうセンスが僕にはなくて、つまり僕個人的には映画館でものを食べるっていうのがアウトなんだよね。
横でボリボリ音立てられるのいやだし、匂いが漂うのも嫌だし。まあ一人で映画館いっても隣がそういう人っていう展開はもちろんあり得るわけだけど、まあ他人だから仕方がないなって諦めがつくんだよね。でも友人とかと映画館行ったら「え、食べるんだ」とか余計な口出しは流石にしないまでも(本当は映画館でポップコーンを食べるのは悪いことではないのだから当然だ)、「あーあーこいつ横でポップコーン食べてるなー」と思いながら映画を見なければならない。
要するにそういう部分で友人に感想を持ったり「本当はちょっと一言物申したいんだけどこっちがマイノリティーだから口出しできないくそッ」というような気持ちになりたくないんだよな。ほら一人のほうがいいじゃん。
感想が違ったときにアレだから
例えば人とある映画を観に言った時に僕が「これ一見ハッピーエンドだけど未来のこと考えると一概にハッピーエンドとは言えないよなーけっこう辛いラストだったのかも」みたいなことを考えているのに「ハッピーエンドで最高だったね!」みたいなことを言われて認識のズレが可視化されるのが怖いっていうアレ。これは体験談じゃないからこういうことが起きるのかどうかは本当はわからないんだけど、違う人間が同じ映画見るでしょ、そしたら絶対違う感想が出るでしょ。一卵性双生児でも少しは異なる感想を持つでしょきっと。
で、まあそれは素晴らしいことじゃないですか。
映画を観終わってから「ああだとおもう」「いやあそこはこうでしょ」とか色々語り合うのも楽しいじゃないですか。ただ僕は作品を観た後しばらく「さなぎモード」に突入するので感想とか言われても困る。(さなぎモードについては後述する)
1日くらいたったらそうやって異なる意見を言い合ったり出来るんだけど直後は色々頭の中をぐるぐる回っているので何かを言われても「いや..ちょっと...」「え?ちょっとって何?ハッピーエンドでよかったよね!」「いや..ちょっと..時間ください」みたいになる。
だから娯楽映画だったらいいのよ。
「海馬かっけえー!」とか「アンチョビ姉さん大活躍じゃん最高ー!」って共有できるから。ただそうじゃない真面目系(なんて言えばいいのかわからないや)??の作品だとなかなかそうはならないなあって。
さなぎモードだから
さっきも書いたけどさなぎモードなんだよね。ここが多分一番重要で、青虫って蝶々になる前にさなぎになるでしょ。さなぎのときって中でどうなってるのか。青虫がだんだん蝶々になっていくかっていうとそうじゃない。一度どろどろになってるんだよね。細胞レベルで。一旦液体になってから蝶々に生まれ変わる。
おお...書きながら改めてすげえって思っちゃったけど。
要するに映画を見終わった僕の脳内もそういうことが起きているんだよね。登場人物のセリフだったりBGMも選びだったり、結末が意味するものだったり作品のメッセージに対する憶測だったり、そういうのが頭の中でドロッドロになって考え中なんだ。だからそのときに作品に対することをあれこれ話されても「うん」「おもしろかった」などとNHKの夏休み帰省ラッシュ時の子供に対するインタビューみたいな感想しか出てこないんだ。さなぎなんだから仕方ないでしょ。
で、冒頭の僕の友人が「私は美術館はソロ鑑賞派だ」
と言うことになった彼女なりの持論というか、ポリシーは聞いてないので実際は全然知らないんだけど、僕は勝手に最後の「さなぎモード」みたいなところが影響して彼女をそういう派閥にたらしめてるんじゃないかって推察したんだなあ。
それで作品を見た僕たち青虫はさなぎを経てそれぞれの蝶々になるんだね、って「はらぺこあおむし」の話に回帰するんだよね。おいおい完璧な締め方じゃねえか。
ふふふ。
自己満足したので今日はここまで。
おしまい。