シェアハウスに新しい住人が来たはなし
隣の部屋に会ったことのない外国人が住んでいる。
そのことが、これほど気になるとは思わなかった。
国際交流を主としたシェアハウスで一人暮らしを始めて半年が経った。イギリス人・韓国人・イタリア人と一緒に住んでいる。当方は生粋の日本人。社会人になるにあたり、どうせなら国際的なシェアハウスに住んで友達作りながら英語も学ぶライフを過ごすぜー!と意気込んでやってきたが現実は甘くない。
みんなシェアハウスって言われるとすぐこういうテラスハウスみたいなのを想像するけど、全部が全部こんなシェアハウスってわけじゃない。例えばうちのように住民全員シャイだったりすると誰も部屋から出てこない。全員部屋にいてたまに「キイ..」とドアが開く音がして、またしばらくすると「バタン」と音がする。
全員シャイ。人見知り。シェアハウスならぬシャイハウス。シャイハウスだここは。
とにかく、そういうところに住んでいる。
そんな中新しい住人がやってくることになった。
それが冒頭で言ったうちのイタリア人のことなんだけど。僕はイタリア人の知り合いなんてほとんどいないので当然「イタリア人はこうだ」みたいなことは言えないんだけど、言える立場にないんだけど、なんかイタリア人って「陽気でフレンドリー」なイメージがある。みんなだってそう思うだろ?日本人はシャイでドイツ人は生真面目でイタリア人は陽気って相場が決まってるんだ。知らないけど。
で、僕はそのイタリア人に希望を託すことにした。勝手に。
彼女が(女性です)きっと欧州の陽気なフレンドリーな空気をこのシケたシェアハウスに吹き込んでくれるはずだ!そして僕たちはお互いにわかり合ってWe are the worldするんだ!と思った。
思ったまま2週間がたった。
未だ彼女とは会ってすらいない。なんだこれ。
いやいるんだよ。絶対いるもん。
ほら今こうやって記事を書いている間も咳払いとか聞こえるし。
うっすい壁挟んで向こう側に彼女は(何やってるのか知らないけど)生活しているのだ。生存しているのは確かだ。まあ観測してないから証明できないけどね。あれだ、シュレーディンガーのイタリア人だ。なにそれ。あんまり面白くないこと言っちゃったな。ちぇっ。
それでさっき隣の扉がばったんばったん開いたり閉まったりしてる音が聞こえて、ほどなくして共有キッチンから何かをグツグツ茹でる音が聞こえてきた。
そこで僕はこれを彼女とコンタクトを取る好機だと捉えた。(ちなみに僕はイタリア語がほんの少しだけできる)
ただ共有キッチンで仁王立ちして待ってたらマジで怖いしあまりにも不審なので、僕はコーヒーを入れることにした。先だって一緒に仕事をしていた営業がベトナム土産で購入したコーヒー粉をまだ開けていなかったのだ。
僕はマキネッタとコーヒー粉を抱えて部屋を出て共有キッチンに立った。鍋が火にかけられてぐつぐつしている。中をのぞくと卵が5個くらい茹でられている。ははあ、ゆで卵をつくりたかったのですね。イタリア人よ。シャイなイタリア人よ、残念ながら私は今からここでマキネッタでエスプレッソをつくります。私とナイストゥーミーチューしないとあなたは永遠にゆで卵にありつけないのです‥‥。
などと心にもないことを考えながらマキネッタを分解する。
「マキネッタってなに?」
こういうやつだよ。
直火でエスプレッソをつくるやつだよ。
仕組みはこうだよ
それで僕はマキネッタを分解して、水道で底に水を入れた。それにフィルターで蓋をして新鮮なコーヒー粉を詰める。分解したのと逆の手順でマキネッタを締めて、それをコンロに乗せて火をつけた。卵が入った鍋とマキネッタが並ぶ形になった。けっこう長いこと鍋が火にかけられてる気がするんだけど大丈夫だろうか。まあ最悪僕がいるし大丈夫だろ。というかその最悪の事態が起きた時ってどんだけ出てきたくなかったんだよ。イタリア人はよ。
エスプレッソができるまで数分暇なので本を読むことにした。ダン・アリエリーの「予想通りに不合理」という本だ。父に勧められて古本屋で探して購入した。アマゾンだと800円近くするのを300円で抑えられた。読んでいるページにソクラテスの言葉で「吟味しない人生は生きている価値がない」というものがあった。すごい言葉だと思った。僕は自分の人生を吟味しているだろうか?そんなことは果たして自分で認識できるのだろうか?日常における何気ない行動ひとつひとつは果てしない選択の連続から成り立っている。終わりのないあみだくじの線をなぞり続けているようなものだ。その線をなぞる行為をなるべく意識して自分で納得して選びなさいよということだろうか。
そんなことを考えていたらマキネッタがエスプレッソを抽出しはじめたので火を止める。エスプレッソ用の小さなマグカップを出してキッチン台の上で丁寧に注ぐ。うわー超良い匂い。お店のブレンドコーヒーはこんなに濃い匂いを放たない。コーヒー豆をそのまま溶かしてしまったような力強い匂いだ。
マグカップの半分注いで、あとはお湯で埋める。
いわゆるアメリカンだ。(本来のアメリカンではないことは百も承知だけれど)
っていうかそろそろ卵やばいんじゃないの。って呆れていたらちょうどドアが開いた。しかしイタリア人のドアではない。反対側のドアだ。韓国人だった。韓国人は「うわやべえ。人じゃん」みたいな表情を浮かべて(たぶん浮かべてなかったけど)軽く会釈して鍋の火を止め、中のお湯を捨てた。
その背中に「こんばんは」と話しかけると彼は「こんにちは」と緊張したように言った。「ここのイタリア人、会いましたか?」と僕は開かずの扉を指差してなるべく簡単な日本語で訪ねた。韓国人は日本語学校に留学しにきているので簡単な日本語のやりとりができる。まあ彼と話すのは今日で3回目だからそんなに詳しくないんだけど。
「えー会いました。2...2かい、会いました。」と彼はたどたどしく答えた。頭をフル回転させて適切な日本語を絞り出している風だった。僕も英語を話す時こんなふうな表情をしているのだろう。と僕はぼんやりと思った。
韓国人は会釈しながらそのまま自分の巣に戻った。要はイタリア人は何もクッキングしていなかったわけだ。なあんだ。
僕はがっかりして小さなマグカップ片手に自分の巣に戻った。部屋ではiPodからビルエヴァンズ・トリオが流れていた。ライブのやつだ。マグカップを机においてマキネッタとコーヒー粉と並べて写真を撮る。コーヒー粉をくれた営業に送るためだ。
そしてこれがそのコーヒーだ。
エスプレッソを薄めたやつだけど酸味が抑えてあってその代わりすごく苦い。
悪魔みたいなコーヒーだ。
それを今、飲んでいる。おいしい。そして苦い。
おしまい