口笛のようなことば
口笛のようなことば
きっかけがあって2年くらい前の自分のエントリーに出会った。
それで、最近書いている文章とは随分様子が違っていて、そして、2年前に書いた文章の方が個人的には魅力的に感じてしまったものだから、動揺した次第である。
よかったら読んでみてほしい。文章として意味はないのだ。
うまく言えないけど、僕が目指すところの文章は口笛のようだ。軽くて、メッセージ性なんて全然なくて、さらりと楽しめてしまうようなものなのだ。
交差点の信号待ちで口笛を吹く。周りの人は「なんだ。口笛なんて取るに足らない。」と思うだろうが、メロディに耳をすませて、なんの曲なのか、どんな曲なのか思いを巡らせる人もいるだろう。「なんか口笛っていいな」と思ってくれる人もいるかもしれない。
寿司のように、さっと握って、それをすかさず客が口に放り投げて「うん、うまい」といって、後になってちょっと心に残るような文章。それが2年前の記事にはあって、最近の文章にはない。
最近、最後に口笛を吹いたのはいつだ?と振り返る。あ、本当の口笛の方ね。
口笛を吹くには心に余裕がなければならない。最近は心に余裕がなくてちっとも口笛を吹く機会なんてなかった。吹くことを思いつきすらしなかっただろう。
はじめからその話をすればよかった
僕がそういう口笛のような文章を、襟を立てた少年ではやって行きたいんだぞぉと思ったのは今年の2月のことで、その時僕は羊毛店でたまたま出会った宮下奈都さんの「はじめからその話をすればよかった」を読了していた。
それで僕はエッセイに強く惹かれることになった。
エッセイは僕にとって口笛なのだ。
そんな風に、お手玉をぽんぽんするみたいに文章を書いて、書いている内容よりも文章そのもののリズムを楽しめるような文章を書くことができたら
それが僕にとっては幸いだ。