便座のふたを閉めよ
今日は短いお話。
先だって家族でトイレの便座についての話になった。
「トイレの便座を上げたまま立ち去るのは道義的に間違っている」という全体の意見はまとまっていた。便座を上げた状態に気づかずに腰を下ろしてしまいヒヤリとするような経験は誰にでもあるだろう。
ちなみに僕は小便であろうと座ってないと落ち着いて事を出来ない人間なので(そのくせ野外の立ちションはする)便座を上げることがない。
あと初めて付き合った女の子にある時「彼女の実家に行ったらな、便座だけは下げとかなアカン。あれでやらかすと家族のイメージは最悪や」と言われたことがあるので常にそれだけは注意するようにしているのだ。
ところで
僕が非常に印象深かったのは妹が言った「私はふたも閉める」という一言だった。
ふた...?あぁ確かにあるな。ふた。っていうかお前だったのか。あれ。
「でもふた閉じちゃったら男性でも女性でも毎回それを開けないといけないじゃん。なんでふたを閉めるの?」と自室の引き出しとか開けっ放しだったりするだらしのない兄が質問すると妹は当然のように
「ふたがついてるからだ。」
と答えたのだった。
正直ぐうの音も出なかった。
ふたがついてるから閉めるのか。
そうか...引き出しは閉じるものだから閉じていて、本は本棚にあったから戻すのだ。それは「ちょっと使うだけだから」とか「どうせまた開けるから」とか「この方が便利だから」といういかにもそれっぽい見せかけの合理性とは全くかけ離れた倫理観だった。
すごく感動した。
そういえば「鋼の錬金術師」に出てくる
真理の扉はちゃんと普段は閉じてるな。
閉めることが出来ても普段から空いてるのは天国の門くらいのものか...。
「天国への扉はいつでも空いています」みたいな。
今日はこの辺で。
おしまい