【ベトナムバックパック5日目】歓楽街
歓楽街、最後の夜
5日目といいつつ前日夜の話を。
最後の晩餐、と僕は呼ぶのだけれど、旅行最後の夜は
静かなところでちょっと良いものを食べて旅行を振り返る。
持っているお金も国外ではほとんど価値がない貨幣なので持ち帰っても仕方がなく、まあ言ってしまえば「ぱーっ」と使えるお金なのである。これを使って最後の晩餐にするとしよう。手持ちを見れば残り200000ドンがある。日本円で1000円。
22:00。財布だけ持って街へ繰り出す。バックパッカー街に泊まっているとはいえ、
道を一本出ればそこはもう歓楽街の形相であった。
色とりどりのネオン、出店、屋台、フォーの湯気、ベトナム人の怒鳴り声、
サングラスや扇子や煙草を売り歩く老婆、路上で血を吐いて死んでいるネズミ、
けたたましいバイク。
僕は適当なお店に入ってタイガービールを注文する。若い女の子が笑顔でビールを持ってきてくれた。僕はカームオン、と礼を言ってビールを飲んだ。
それからぼんやりと長いようで短い旅行を想った。
考えればバックパックなんて豪語しているが、実質5日間しかベトナムにいないのだ。1週間前は普通に日本にいたし、明日には成田空港についている。日本で暮らしている家族からすれば先週の日曜日も僕はいるし、次の日曜日も家にいる。ほんとうに海外に行ったのか?というくらいの期間に過ぎない。アメリカを縦断したときはさすがに14日間だったけど...あれもあれで長いようで短かった。とにかく海外に出ると時間の感じ方が違うから、浦島太郎効果だな。
海外にいると何もかもが新鮮で新しいことばかり起こるので1日がやたら長く感じられるのだ。おまけにたえず移動しているものだから慣れることもなく、僕はこの5日間が1か月ほどに感じられた。
女の子
とそんなことを考えていると、先ほどビールを持ってきてくれた若い女の子(18歳くらい?)がまたやってきて僕の席の机を挟んで向かいに座った。無精ひげを生やして手ぶらで、目を細めて感慨深くビールを飲んでいるアジア人が珍しかったのか(キモかったのかもしれない)フレンドリーにあれこれ質問してきた。
どこから来たの?
名前はなんていうの?
どのくらい旅行したの?
どこが好きだった?
サイゴンはどう?
仕事は何してるの?
次はいつベトナムに来てくれるの?
僕は機嫌よくそれに応え、たどたどしい英語を話す女の子との会話を楽しんだ。
こうやって英語であれこれ話す機会もまたしばらくなくなるのかなぁ、などと考えながら。
今どのあたりに泊まってるの?
ワンルーム?(いやドミトリーだよ)
ガールフレンドはいる?
今夜わたしを買わない?
思わず彼女のほうをまじまじと見ると彼女はにこにこと笑っている。
確かに、段々怪しい感じの質問になってるなぁとは思ったが、
最後の言葉で「ああ」と思った。彼女の会話は雑談ではなく、営業だったのだ。
彼女はこのレストランのスタッフをやりながら、夜の営業活動を兼任していたのだ。
僕はなんとか精一杯微笑んで、「今日は最後の旅の夜で、もうお金は全然ないんだ。ごめんよ。」と言った。彼女は「そっかぁ、、残念」みたいなことを言って席を立った。
それから彼女は一度も僕に話しかけなかったし、そばに来ることもなかった。
売春婦
僕はビールを一口飲んでもう一度ネオン街を見渡してみた。
すると、大胆に足を露出させたり、エロい恰好をしている女の子がそこかしこにいるのが見て取れた。そういう目でみるとすごい数だ。上野の鳩くらいいる。いやそんなにはいないか。
しばらく観察していると売春婦は観光客に違いない欧米人をみつけると笑顔であれこれ話しかけ、それを断ると観光客を腕をつかみ、それでも行こうとすると駄々をこねる子供の用に腕をめちゃくちゃ引っ張って呼び込んでいた。うわぁ。あれ日本でやったら歩行者妨害か何かで罰金ものだぞ。っていうか、それ以前にあれやられたくないなぁ。怖すぎる。
そういうのを眺めているうちに僕はすごくナーバスになってしまい、
結局ごちそうを食べないまま店をあとにした。ビールは40000ドン(200円)だった。
売春婦という職業があるというのはわかっていたし、フィリピンとかベトナムとかタイとか、女の子は結構かわいいので日本人はそのために東南アジアに行く人も多く、あとは出張ついでにちょっと羽を伸ばしちゃおうかな!みたいな人が多いというのも知っていた。
そういえば一個前の記事に出てきた日本人バックパッカーの"果実王"も、会社の出張でシンガポールに行ったときに同僚たちが目の色を変えて歓楽街に飛び出していったといって笑っていった。果実王は「おれは興味なくて。なんか外国人っていう時点でその気にならないし。」と言って肩をすくめた。今さら僕はまた一つ果実王を好きになった。
あの女の子がいくらだったのか知る由もないが、ビールが売っていて、フォーが売っていて、女の子が売っているのだ。それは当たり前のことで、女の子はおそらくは自分の意志でお小遣い稼ぎなのか、生活の糧なのかはわからないけれど、自分の「若さ」みたいなものに自ら値札をつけていたのだ。
まあ、あの女の子はiPhoneを握りしめていてツイッターとかやっていたから生活に困窮して最終手段として身売りしている感じではなかった....。
僕は僕の文化圏にそういう売春みたいなものがなかったので、ビールやフォーのように平気で人に値がつくような場所に対して違和感を感じたし、ビールを買うように女の子を買うことに抵抗があった。
僕が楽しげに話していた女の子には値札がついていたのだ。それが何とも、哀しかった。それは世の憂いでもなければ女の子への憐みでもなく、僕から見た景色と彼女から見えているであろう景色の差分への純粋な驚きだった。「こんなにも僕たちが見ている価値観は違うのか」ということに驚き、哀しくなったのだと今では思う。
そのあと僕はとぼとぼとドミトリーに戻った。
ドミトリーは僕のほかに台湾の女の子がバックパックできていた。
やたらハスキーな声の子で、僕が日本出身だと言うと「オーゥ」と低い声で言った。低い"ラ"の音に近いなと僕は思った。
僕は気が高ぶっていたので台湾人にさっきあったことの顛末を洗いざらい話した。台湾人は「ハハハッ」と笑いながら話を聞いてくれた。「このへんはどこもそうでしょうよ。ここだけじゃなくて東南アジアだったらそういう街なんだからさ」と台湾人がいう。どうやらこの程度のことで大騒ぎしている僕が面白いみたいだった。まあ確かにそういうことなんだろう。
ドイツ人
それからしばらく紙の手帳に今回あったことを仔細書きつけ、
ようやく落ち着いてきたのでドミトリーの入り口まで降りて行って、玄関で缶ビールを飲むことにした。すると先客がいて、入り口の長いベンチに体が大きめのひげ面の男性が煙草を吸いながらケータイをいじっている。見た感じドイツ人だなと思った。
黙ってその隣に座ってビールを飲んだ。
どうせ暇なんだし話しかけようと思ってハローと声をかける。
するとドイツ人はフレンドリーと警戒心を含んだ笑顔でハイ、と返してくれた。
彼にはおそらく僕がベトナム人の客引きに見えているのだろう。欧米人にはアジア人の見分けはつかない。
旅行者ですか?
ああそうですよ
僕も旅行者です!どちらから来たんですか?
僕はドイツ人です。あなたは?
僕は日本人です。ドイツ人なんですね!初めまして(ドイツ語)
おぉすごい、ドイツ語だ!きれいな発音だね(ドイツ人が笑顔になる)
それから二人でいろんなことを話した。さっきの売春婦のこと、これまでの旅のこと。
北ベトナムでは15歳くらいの女の子が他人の指図で嫁ぐのが当たり前であること。
ドイツ人の彼女が東京に住んでいて、明日バンコク経由で日本へ行くこと。ドイツの教育のこと、仕事のこと。旅行英語のこと.....。
話し出せばきりがない。というか、相手が気を遣ってくれればここまで会話ができるものなのかと驚いた。本当に楽しいおしゃべりができた。夜が更けると、ドイツ人は「じゃあ僕は明日早いからこのへんで。」といって席を立った。
「「auf wiedersehen!」」(さようなら)
僕たちは名前を名乗らず、facebookの交換もせずに別れた。
連絡先を交換するのは、それもいいかもしれないけど何だか野暮ったい気がする。
みんなが旅をしていて、偶然居合わせてすれ違って、また別れてそれぞれ進んでいくのだ。そういうのが潔くて、粋だと思う。
帰還(おまけ)
ほどなくして僕もドミトリーに戻ってベッドに戻り、眠った。
ここからようやく5日目なのだが、ここからは大した話じゃない。
朝出て行って、23/9 park bus terminalからエアポート行きのバスに乗り、空港でチェックインをして荷物検査をして、飛行機に乗って成田に着いた。
朝8時にはサイゴンにいたのに、夕方17時には日本にいるのが本当に不思議な感触だった。
成田からバスで東京駅へ行き、そこから電車で家に帰った。
東京駅ではけっこう僕は浮いていた。何しろ5日間同じ服を着ていたせいでサイゴンの排気ガスとフーコック島の砂と飛び散った果実の汁がむちゃくちゃについていたからだ。
東京駅で吉野家の牛丼を食べた。
ベトナムで言うと98000ドンで、「高ぇ.....」と思わずつぶやいたのだった。
おしまい