自分の人生はいつ始まるのか
自分の人生はいつ始まるのか
最近お堅い論調の記事がずいぶん続いたので
久しぶりにライトめに記事を書いてみようと思う。
ライトといえば今までずいぶんと軽い記事も書き散らかしてきたが、
いきなりライトすぎる記事を書いても食当たりする人も出るかもしれないのでほどほどに行こうと思う。
とか言いつついきなり最初のトピックが重いんだけど
別にそんな重い話をするつもりはない。若干ほろ酔いしているので
さらさらっと書いて今日は終わりにしようと思う。
人生はいつ始まるのか、という話をした時に
「じゃあなに、お前まだ人生始まってないのかよ」と怪訝そうな顔をする人と、「そうなんだよ、いつ始まるんだろうな」と同調してくれる人と2種類に分かれる。
そもそも人生が始まるってどういうことやねんって話なんだけど、
「自分はこれのために生まれてきたんだな」と思えるようなものに出会うこと....あるいは、「自分はこれのために生まれてきたってことにしてもいいな。それくらい大切だな、これ。」というようなものに出会えた時。
ニュアンスとしてはこの瞬間を僕は「人生が始まる」とよびたい。
それを運命(さだめ)という言い方で置き換える事ができるかもしれない。
この辺りについては
以前「真田丸」を例にとって述べたので参照してほしい。
僕は始まってないです
友人は人生は9年おきの周期っていう考えを教えてくれた。
9歳18歳27歳...と考えると26歳の僕は高校生以来の曲がり角の手前にいることになる。そしてこの曲がり角を曲がった次の転機は36歳なんだって考えると、なんとも言いようのないプレッシャーを感じるものである。なんとなく36歳って子供いそうだし。わからんけども。
人生が始まってないのであればお前は今なんやねん、というと、
人生を始めるための準備をひたすらやっているような心算だ。
スティーブ・ジョブズ的な表現をするのであれば、「点」をばらまいている。
点と線
著名人の半生がよくテレビで取り上げられる。
それを見ていると、順風漫歩な人生であることは少なく、挫折があり、苦悩がある。ただ、それさえも今成功するまでに至る必要なステップである事が少なくない。いわば「あの時があったから今の自分がいる」である。
つまり線だ。
スティーブ・ジョブズの半生を振り返ってみると、日本の禅の文化に傾倒したり、大学に潜り込んでフォントの勉強をしたり、ゲーム会社で働いたりっていうエピソード一つ一つがiPhoneの発明には必要不可欠であるように見える。
まるでiPhoneを将来発明することを知っていて、そのために必要な要素を学んでいったんじゃないかと思えるくらいの半生だ。
それは、iPhoneに至る線だ。
しかし、実際にはそうではないのだろう。
彼にとっても、あるいは周囲にとっても彼の若かりし頃の人生はあっちこっち興味が移っているだけのまとまりのない半生に見えたのかもしれないと僕は思う。
・日本で禅
・大学でフォント
・ゲーム会社
これになんの関連性があるというのだろう。
それぞれはその時点では単なる点にすぎない。
自分の要素に当てはめてみても
・文章
・空間デザイン
・写真
これらの要素を見て「全部あれのために必要なことだったんだね」と振り返られる未来があるとは思えない。
つまりこれらは線ではなく、点である。
独立した関心ごと、要素の一つにすぎない。
しかしある段階....つまり僕が人生が始まる瞬間と呼ぶ、来るべき未来の時、僕たちは半生の点を線として捉える事ができる。つまり人生が収束する。
最初から線を意識して生きる必要はないと思う。
つまり「これは僕の人生には役立ちそうもないから」といって興味のあることをパスする必要はどこにもない。むしろ、興味のあることに運命を感じて、なんでもまずは手を出してみるのがいいと僕は思っている。
結局「線」なんてものは結果論に過ぎない。
振り返ったらそうでしたーっていうだけの話なのだ。
それであれば、未来にとって様々な変身をできるように点はばらまいておいたら面白いと僕は思う。あまり線を意識しすぎると足踏みばかりで何もできなくなってしまう。
点を増やしていますか?
僕個人としては、一応増やしているつもりで、なおかつ下手すれば今年僕は人生が始まるんじゃないかとドキドキしている。ただの予感に過ぎないけれど。
そのために点をきちんと用意しておくこと。
また、いつの間にか点が消えちゃった!なんてことにならないように、自分の持ち前の経験や知識をメンテナンスしておいていつでも役に立てるように(ケーキの作り方、昔はよくやってたんだけどもう忘れちゃったーでは意味がないのだ)しておくこと。
その辺りに注力しておけば今回の話は
大丈夫なんじゃないかなーと勝手に考えているのだけれど。
いま連載している「左利きのエレン」という漫画によれば
「人生が始まったら、わかるよ」というようなセリフがあって鳥肌がたった。始まった時に「始まった」とわかるようなアンテナは張っておきたい。そのためにやるべきことは山ほどある。一個一個楽しんでやっていきたい。
今日はこの辺りで。
続く!