就活生に捧ぐ 「得意で、好きで、求められていることを仕事にすべき」の落とし穴
今日は短め。
どんな仕事をして将来生きていこうか、と考えるときに
「得意で」「好きで」「求められていること」を仕事にするとベストだという考え方がある。僕はそれを聞いて「そうだなあ。そうだろうとも。」と思った。
ただなかなかこの3つを兼ねそろえた何かを持っている学生って少ないんじゃないかと思う。そもそも3つが揃っていたら悩みすらしないだろうに。
いずれにせよ、確かにこのどれかが欠けていると
何かしらで苦労することになるだろう。
得意だけど世の中の役に立たないとか。
得意だけど別に好きではないとか。
まぁ、苦労するのが悪いことだと僕は全く思わないけれど。
「得意で、好きで、求められていることを仕事にすべき」
というパワーワードには落とし穴があると思う。大きな落とし穴ではなく、小さな落とし穴の集積だ。それらについてつらつらと思い浮かんだところから書いていきたい。
ではまずは得意なことから。
得意なことを仕事にすること
実際問題、まだ就職もしたことがない人に対して
「得意なことを仕事にしろ」というのはちょっとおかしいと僕は考えている。
誤解を恐れずに言うならば、学生の"得意"なんてものは社会人にとっては子供だましであることが多い。そんなことないのかなあ?
少なくとも僕の世界からはそう見える。
僕は企業のデザイナーだけれど、入社希望者が何を得意とするかにあまり興味がない。それよりも、何が好きかに興味がある。
だいたい、大学を出たばかりの人間で即戦力になることなんて滅多にない。
それはそうだろう。学生たちが講義に出たりサークル活動をしたりバイトをしたりしている間こっちはずっと仕事をしているので、「僕はこれが得意です。御社の即戦力になります」と言われたところで「うんすごいすごい」と言ってあげる...くらいのケースがあまりにも多いのである。
かくいう僕も独学でカメラを始めて、自作の写真集を引っ提げて「おれカメラできます!ここで働かせてください!」と写真スタジオに突撃したときは辛うじて採用されたものの、入って2日後には「おれが出来るのはシャッターボタンを押すことだけで、写真を撮るなんてことは出来てなかったんだ.....」と打ちのめされた。半年くらいは写真が全く売れなかった。
好きなことを仕事にすること
これも鵜呑みにすると危ない言葉だと思う。
だいたい、ぱっと言われて「なるほど」と思う名言に限って落とし穴が多い。
極意みたいな流行のワードには気を付けたほうがいい。
過去の名言を借りるなら「すぐに役に立つものはすぐに役立たなくなる」だ。
好きなことを仕事に出来たら素敵だと思う。
AV男優が「僕はもうセックスが一番好きで....」と語ってるのを見ると「天職なんだなぁ」と感心する。
ただどうだろう。
好きなことを仕事にすることが幸せだとは限らない。
つまり、コンテンツの受け取り手として幸せだからといって、発信者の側にまわって楽しめるとは限らないということだ。ディズニーランドが好きだからディズニーランドに就職しても必ずしも幸せになれるとは限らない。
消防士というと、火事の家から人を救い出すようなシーンが思い浮かぶだろう。
では実際、消防士が火事に立ち会っているのは全労働時間の何パーセントだろうか?
僕はデザイナーというと、お客さんと打ち合わせをしながら軽やかにスケッチを描いていくイメージがあった。だが実際なってみればスケッチをしている時間は全労働時間の4%くらいだ。
僕がカメラマンだった時でさえカメラを持っている時間は全体の30%くらいだった。
他の時間は何をしているのか。
あんまり目立たない地味なことをしている。
そういうのは、「情熱大陸」ではほとんど描かれない。
だからイメージしにくいのだ。
話を戻すと、要は「好きなことを仕事にする」という表現があまりよろしくないと思う。僕は「できないと思うこと」を仕事にしたらいいとおもう。
できないっていうのは、「好きでやってるんだけどまだまだなんだよね」ということ。逆に「結構できるよ」っていうことについては要注意だ。
できるという自信は裏を返せば成長の終わりだ。
自分で満足しているものごとにそれ以上の成長はない。
今まで好きでずっとやってるんだけど全然上達しないんですよね。悔しいなぁ。
そんなものがもし自分にあるなら注力してほしいと僕は思う。
それは伸びしろなのだ。
あるいは、他者が「それ」をやっているのをじっと見ていられないもの。
「ちょちょっと貸してみて」って思わず立ち上がってしまうようなこと。
観客でいられないもの。うずうずするもの。
上手く言葉に出来ないけれど、人がやってるのを見ていられないもの。それは好きなだけでなく、昇華したいというプラスのエネルギーが働いているものだ。
そういうものを仕事にしたら、きっと向上心を持って続けられるだろうと思う。
求められているもの
先日ふと知り合いに「お前何がしたいねん」と聞いたら「景色のいいところでおいしいごはんを食べたい」と返され、「それはなかなか仕事にできひん」と思った。
まあそれはそうだろう。僕は耳かきが得意で、好きなことだが、これは仕事にならない。僕が耳かきをしているのを見て誰も幸せにならないし、誰も助からないからだ。
だから「得意」「好き」「求められている」のうち、前者2つは大切なことだが、最後の一つは前提のようなところがある。
しかしどうだろう、
スティーブジョブズがiPhoneを発表したとき、iPhoneは求められていただろうか?
ひと昔前の人はスマホが欲しいなんて想像すらしなかっただろう。
そのニーズは、潜在的にあったものではなく、後天的に与えられたものに過ぎない。
そういう風に考えると、必ずしもそのときに世の中から求められているものを仕事にする必要はないんじゃないかと思う。
あるいはやるとしても、「今は求められていないが、今後は必ず必要になるであろうことを先回りして始めてみるというのが有益のような気がする。
例えば人工知能やAI、ロボットに関する法律は今あまり求められていないかもしれないが、近い将来は必ず必要になるものだろう。
例えば自動運転の車が人をはねたら責任はだれがとるのか。そういった法整備はこれからどんどん必要になってくるだろう。
つまりはテクノロジーが加速したことで、問題解決型のメソッドだと間に合わず、問題提起がこれから求められる世の中になるので、「今求められていること」というよりは、何を求めさせるのかというような考え方が台頭する可能性がある。
以上、3について簡単に考察してみた。
得意なこと、は企業にとっては即戦力から程遠いことが多い。逆にそうでなかった場合強力な武器になり得る。
好きなこと、は必ずしも仕事にすることで幸せになるとは限らない。つまりディズニーランドの裏方のほうでパレードの人たちがいそいそと着替えてたりするのをみる覚悟があるかどうか....といったところだろうか。
好きという言葉にとらわれず、それについて考えるとわくわくしてしまう、人がやっているのを見ているといてもたっても居られなくなる、といったことを探してみる。
求められていること、は重要だが、求められていることを調べてから動くのでは間に合わない可能性がある。だから、これから何が求められるのかを予測したり、あるいは自分からトレンドを発信していくような姿勢がこれから求めらえるだろう。
といったところだ。
異論はいくらでもあるだろうけれど....。
今日は眠いのでこのへんでおしまい。
つづく