鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

緊張は理想と現実のギャップから生まれる

 

 

「緊張っていうのは結局は自分を過大評価してるから起こるんだ。過小評価から起こるのではなくね。それは言い換えれば自意識の膨張だ。自分はこのくらい出来るはずだっていう理想が頭の中にあって、まぁそれは希望的観測であることがしばしばじゃないか。一方それに対してでもひょっとしたらこんな失敗をするかもしれないっていう現実が頭をよぎる。まぁ頭をよぎる時点で本当は予測できてるはずなんだけどさ。それを頭から振り払うために半ば無意識的に看過してるわけ。その理想と現実のギャップ、落差から緊張は生まれるんだ。」

 

「だから日頃から等身大の自分と向き合って、自分の能力のシルエットを正確に理解している人間は本来緊張なんてしないんだよ。そういう意味ではもう緊張している時点で準備不足なのかもしれないな。いや、準備不足が悪いっていうんじゃなくて、どれだけ事前に準備している人間でも本番で何が起こるか分からないからこその緊張っていうのもあると思うけどさ。」

 

「さっき言った通り、緊張している人間はその時点で失敗する自分が思い描けちゃってる訳だけど、人って思い描いていることを自然に引き寄せるし、そもそも悪い結果が想像できる頭があるならそれが起きないように手を尽くして来るべきなんだ。

周りを見渡せば自分を過大評価している人間と過小評価している人間が多すぎるよ。ほとんどの人間が自分の能力を客観的に判断できてないんだ。根拠もないのに万能感を抱きかかえて、まだ本気を出してないだけ、本当は自分はやればできるんだって思い込んでたり、本来は出来るのに自分なんて出来ないって甘えてチャンスを不意にしたりさ。」

 

「だからまぁそうだなあ。そういう連中はまとめて自転車に乗れば良いよ。

乗ればわかるよ。乗らないきゃわからないと思うけど。自転車に乗ると自分の能力の限界がはっきりわかる。それは悪い意味じゃなくて、むしろ良い意味として。

自転車で遠出して目的地にたどり着くと独特の達成感があって、そりゃ自分の足で辿り着いた訳だからやっぱり車や自転車とは実感がまるで違う。

"自分の足でここまで来れた"っていうのは自分にも他者にも否定出来ない圧倒的なリアルだ。進んだ距離が少なくとも自転車におけるお前の限界な訳だ。"ここまで来れた"っていう勝利は常に"その先には行けなかった"っていう敗北と表裏一体なんだ。その表と裏の境目を普段僕たちは"結果"って呼ぶんだろうね。」

 

 

「自分の能力の限界を知るのに、別に自転車じゃなくても良いだろって顔だな。マラソンだろうが水泳だろうがテニスだろうが、なんだって良いじゃないかって。良いや駄目だね。自転車じゃなくちゃ駄目だ。自転車はさ、人力で最速なんだ。これがどういういみだかわかるか?自力でなるべく遠くまで行こうとしたら自転車が最適解なんだよ。だから自転車で行けるところに辿り着くと、少なくとも距離という次元においては言い訳が聞かないわけ。これより効率の良い乗り物はないし、これより速く進む乗り物はないんだからね。あったとしても、それだと自力で辿り着いたことにならないんだ。ある意味では。さっきの話で言えば自分を過大評価する人間はマラソンで走った後で"もっと速い乗り物にでも乗ればもっと遠くまで行けたろうに"と思うだろうし、過小評価する人間はバイクで出かけても"これは自分の力ではない"なんて言い出すんだ。本来はマラソンだろうがバイクだろうが自分の能力なんだろうよ。そんなことは僕だってわかってるさ。ただ、自分を適切に評価出来ない、本来の自分のシルエットから目を背けてるような連中は、一旦全員自転車に乗せて行けるところまで夕日に向かってダッシュしてこい、みたいなことを言いたくなっちゃうって、まぁ言いたいことはそれだけなんだけどさ。」

 

 

小説に入れたい台詞。これで原稿用紙4枚分だ。

長い台詞だこと。これは自分の意見ではなくて、こういうことを言い出す奴がいても良いなっていう発想から台詞を思いついた。この台詞は結婚式前に早めに現地についちゃって近くのドトールで手帳に一気に書いた文章。これを最後まで書き切るために結婚式には後一歩で遅刻するところだった。

 

 

 

つづく〜