スマホに使われるな
みんな、今日もスマホいじりまくってるかな??
電車に乗り込むと、本当に多くの人がスマホをいじっている。
一様に一生懸命画面を指でベタベタしているのを見ると、
自分もいじろうとしていたのに「読書でもするか」という気持ちになる。
なんとなくスマホばかりいじっているのに抵抗がある。
そもそも、大学の講義中、電車の通学通勤中、仕事の休憩時間でスマホを
いじっている人は一体何をしているのだろう。
この、「一体何をしているのだろう」という感覚はなかなか面白い。
ある人が製品を手にとってそれを「使用」しているのに対して、
「何をしているのだろう」と考えるのは、スマホを始めとした
スマートフォン端末の特徴だと思う。
電卓を使っている人は計算をしているし、
掃除機を使っている人は掃除をしているのである。
カーナビは行き先を検索するためにあって、プリンターは印刷のためにある。
ところが。
スマホは本当になにをしているのかわからないのである。
気難しい顔をしているサラリーマンが、パズドラをしてるかもしれない。
ドア横に寄っかかっているあんちゃんも「Gnosy」を使って新聞の気になるコラムを熟読しているかもしれない。
スマホをベタベタ触る。みんな一心不乱だ。
でも、何をしているのかわからない。
わかった。
僕はこの光景が「怖かった」のだ。
漫画や新聞を読んでいたり、
ゲームボーイを持っていたり、
料理の指南書を持っていれば、
「何をしている」のかがわかるから不気味ではない。
でも、この隣でスマホを持っている人は何をしてるのかわからないっていうのは
生理的に気持ち悪い。
そして、そこに参加することに少々抵抗がある。
そういうことだ。
だから、「スマホいじってばかりいると馬鹿になる」とか、
「電子媒体で文章を追っても無駄だ。紙じゃなきゃ駄目」っていうことを
言いたいんじゃなくて、
「あれってちょっと怖いよね」って感じたってだけだ。
さて、
織田裕二主演の「アンダルシア 女神の報復」という映画があって、
前作の「アマルフィ 女神の報酬」とセットで僕のお気に入りだ。
黒木メイサはどうでもいんだけど、伊藤英明はマジでかっこいい。
スペインで働く国際警察役だったと思うんだけど、
日本に息子をのこしていて、たまにiPhone(たぶん4)を取り出して
いじるシーンがある。
このiPhone画面が超絶ストイックで、
当時そういうものだったからかもしれないんだけど、一番初期画面で
キングオブシンプルってかんじ。
イメージこんなかんじ。でももっとシンプルだったよ。
上二段くらいしかなかった。
それで当時憧れすぎて、同じようなホーム画面にしてしまった。
もうほんとうにシンプルで、完全に自己満足だったけど、
自分としてはほんとに満足。
で、自分のiPhoneはさすがに上ほどではないにせよかなりシンプルだ。
上ほどだったわ
本当にいらない標準アプリ(「株価」「コンパス」)は
専用のツールをつかって全部消してしまった。すっきり。
ここまでシンプルにするとスマホも生活には浸食してこないで、
ツールとしての役割を果たす。「ちょっと時間できたらスマホいじろーっと」
という気分になかなかならない。
なかなかいいもんよ これ
いえーい
焦った。
駅員に相談してみる
「何かカバーはつけていますか?」
「つけてないです」
「どんな待ち受けですか」
「初期画面のやつです...」
「何が特徴はありませんか...?」
「(なにも)ないです........」
といった具合で埒があかない。
これは本当に申し訳ないと思った。
でも逆にそんなiPhone一台しかなかった
一発ででてきた
iPhoneの中身をシンプルに保って、尚かつ必要なときにしか使わない
というのは自分なりのルールであり拘りだ。
辞書ツールはiPadに入っているが、手元に辞書があれば紙の辞書をひく。
ちなみにiPadは逆にごちゃごちゃしている。
今度iPadについても記事を書きたいなぁ。