ゲームは料理に似ている
ゲームの進化は目覚ましい。
いつでも外に持ち出して遊ぶことができるし、
自宅にいながら世界中の人と対戦することも出来る。
画質のクオリティも年々向上していて、
最近のグラフィックは目を見張るものがある
↑グランツーリスモ1の画質
先日発売されたグランツーリスモ6の画質
ゲームの内容うんぬん以前に、この画質を体験したくて
ゲームを買ってしまう人の気持ちもよくわかる。
大人気のRPG育成ゲームのポケモンが初めて発売されてから17年が経つ。
17年っていうと相当だ。生まれたてのベイビーだって高校生になっちゃう。
これまで1億6000万本のポケモンソフトが世界中で発売されており、
ポケモン市場の総額は4兆円といわれている。
大人がゲームをしていても恥ずかしい時代ではない。
そんな考えは時代遅れだ。
ゲームは単純に遊ぶだけではなく、
技術者やプログラマーたちが力を振り絞って制作した品質のものを
楽しむ、というたしなみ方もあるのではないか。
ポケモン等は本当にすごいけれど、
子供も楽しめて、大人もやり込めるゲームシステムをつくるにはどうすればいいのか。
あるいは、ぷよぷよやテトリスのような昔ながらのシンプルなゲームを
飽きさせずに新作を買ってもらうにはどうしたらいいのか。
それを最大限まで考え尽くして、考え尽くした結果、何も考えてなかったような顔をしてゲームが発売される。
ゲームは料理に似ている。
制作者がコックで、われわれは客だ。
コックは客のことを考えながら、常に新しいことを考えて料理をつくる。
客席には辛いものの苦手な子供もいるかもしれないし、
お爺ちゃんおばあちゃんのいるファミリーだっているかもしれない。
大人から子供までいる中で同一のものを出すにはどうするのか。
イージーモードやハードモードを予めもうけるのか。
あるいは子供は気付かないような隠し要素を沢山用意するのか。
そのあたりが全てコックの腕にかかっているのだ。