集まれ眼鏡ども!ー僕が眼鏡について語ること
眼鏡について語る。
眼鏡はすばらしい。ここまでコンタクトレンズが普及して、
なおかつその安全性が認知されているこの世間の中で、一貫して「眼鏡のわたし」を貫き続ける人は美しい。もちろん彼らには「目が乾いて嫌だ」「未だに怖い」というような、それ相応の消極的な理由から眼鏡を貫く人もいるだろうが、やはり眼鏡にこだわる人は美しいと思う。そこには視力を補助する器具を超えた、信仰にも似た力がある。
眼鏡は顔の一部だ。強烈な印象の眼鏡をつけずとも、眼鏡を一貫してつけていれば「あの眼鏡の人」という思い出されかたをするのは不本意にせよ致し方ない。
人のコミュニケーションの基本が「目」だとするならば、眼鏡をしている人とのコミュニケーションには必ず眼鏡が仲介する。
つまり、目を見ているつもりが、実際には眼鏡を見ているのだ。
逆の目線から言えば、眼鏡をしている人はコミュニケーションの観点からすれば「眼鏡という一枚板」によって保護されている感じがする。そういう感触って、眼鏡をしている人からすればあるだろう?
(美大生だから超うまい絵で読者を圧倒することができる。
上図は裸眼者と眼鏡人とのコミュニケーションの図。
書きながらマジすげー地震があって多少ガタついた。)
なんだよ今の地震。こわかった。
まあいいや、とにかく
眼鏡を常用している人が何らかの理由によって眼鏡を外して外に出れば、
なんだか裸で街の中を歩いているような、無防備で不安定な気持ちになるはずだ。
僕ら眼鏡人は知らず知らずのうちに眼鏡に守られていたのではないか。
眼鏡は視力を助ける道具であり、コミュニケーションにおいて自分も守ってくれるバリアーであり、そしてファッションでもある。これは素晴らしいことだ。
井浦新の眼鏡姿が一番好き。自然で、それでいて知的で気取ったところがない。
「おれ眼鏡つけてるから眼鏡男子ね。かっこいいっしょ。」って感じが皆無だ。
彼自身眼鏡が大好きで家に何本もあって、その日の気分に応じて眼鏡を使い分けるそうだ。一本の眼鏡でいくのもいいけど、何本もあってその中から選ぶっていうのも素敵な贅沢だと思う。眼鏡をファッションだと思えば、いくつも眼鏡を持っているというのは至極当然のこと。
http://www.youtube.com/watch?v=tvM8bC1Rfds
SABAE眼鏡のCMに出演する井浦新。
これを見ると今すぐ眼鏡もう一本!という気持ちになるかも?
はい、最後に小栗旬ぶち込んでおしまい^^
p.s
前回に引き続き、萌えなイラストやイケメン俳優の画像を用いて集客数を増やそうとしているのではないかと考えられている人がいらっしゃるかもしれませんが
はいそうです。すいませんでした!!!!!!!