自分の好きなものを100個書き出す
自分の好きなもの。
カメラ。手帖。コーヒー。ペン。文章を書くこと。
辞書。小説。スヌーピー。などなど
さて、突然だけれど、
「どうして自分は"好き"なんだっけ?」
と、"自分の好きな物のルーツ(起源)をたどってみる"というのは面白いのではないかと思った。
ピアノが好きな人はどうしてピアノが好きなのか。
緑色が好きな人はどうして緑色が好きなのか。
以前僕はブログで「本当に好きな物は好きな理由なんてない。理屈じゃない。」とさながら純情少女のようなことを書き連ねたが、そこに理由を見いだすだけの努力をするのは決して時間の無駄ではないと思う。
人は、「好きなもの」には「こだわる」。
ピアノが好きな人はより良いピアノでの演奏を夢見るし、緑色が好きな人は好んで緑色の服や筆記用具を集めるかもしれない。
僕だって手帖は「Moleskine」と「ほぼ日手帳」が良いし、
辞書は新明解国語辞典第五版が大好き。ペンはPelikanのスーベレーンが一番だ。
女性デザイナーで確か「自分の好きな物」を100個ノートに書き出してみたという方がいたとおもう。それで、「ああ自分はこういう人間だったのか」と理解したという。
自分というのは、個性というのはすなわち、何に興味があるのかということだと思う。何が好きで、嫌いなのか。嫌いなものを書き連ねるとマイナスの気を集めてしまうから、とにかく好きなものを書き出しまくってみる。
そうすると意外にも、100個書くのは難しい。30個くらいで「うっ」となってくるし、そもそも10個目あたりから「これ本当に好きなのか?」「数を稼ぐ為にとりあえず入れているだけでは?」と思ってしまったりして意外にも30個くらいしか書けないものだ。
そうやっていつもとは違う見方で自分のことを観察するということはすなわち、「自分を客観的に観察する」ということである。
そして「自分を客観的に観察する」ということは、
「わたしは優しい」「私は背が高い」「わたしは英語が得意だ」という主観的な観察をするのではなく、
「私は月に一度は祖父母に手紙を書く」「私は身長176cmだ」「私はTOEIC〇〇点である」と具体的な体験や数値に置き換えて観察するということである。
自分を客観的に理解した瞬間。
サッカー場を走り回っていた選手が、フィールドを客席から見下ろして、「なんだ、意外に狭いんだな」と思うような、ピンときた感触。
それは自分の器の大きさを目の当たりにするというショッキングな出来事であり。同時に「だから自分にはこれができる・これが足りない」というスタート地点に立つためのチャンスでもある。
上のように、主観と客観ではかなりものの見方が違う。
大切なのはそれに気付くこと。
そして、サッカー選手が頭の中でフィールドの全体を描いているように、
主観のなかにも客観の意識を持つことである。
「自分の好きなもの・こと」をひたすら書き出す。
これ、おすすめです。