しおりのすすめ
「しおり」と聞いて皆さんはどんなものを思い浮かべるだろう。
本を買ったときに挟まっている、広告付きの紙のしおり。
大型書店で売ってるような金ぴかの上品なしおり。
革製の綺麗なリボンのあしらってある細身のしおり。
あるいは、本にあらかじめついている紐状のしおり。
今日はしおりの話をする。だから、しおりが欲しくなるような文章がかけたらと思う。
しおりがないとなにかと不便だと思う。
読んでいるところに何かしら挟んでおかないと、次また読むときにいちいち前に読んでいた部分を探さないといけないし、その作業中にちょっと先の文章が目に入りでもしたら興ざめしてしまう。
別になくてもいい。でもあったらあったで便利。そのくらいの意識なのではないか。しおりなんて。
しおりは海を航海するための舟みたいだ。
めくられていくページの波に揺られながら、ゆっくり前に進んでいく。
少し読書に疲れたらしおりに目を落として、今まで共に旅した本のことを思い出してみる。そんな毎日はちょっと情緒的過ぎるだろうか。
僕のアイデアにいまいちピントこない人はしおりに向いていないのではなく、
恐らくまだ良いしおりに出会っていないだけだと思う。
僕は訓子さんという方のしおりをずっと愛用している。
デザインフェスタ(毎年2回ビックサイトで催されるデザインの祭典)では常連の写真家で、クロスプロセスのような色合いの写真が透明のプラに印刷されていて、
鮮やかすぎる観覧車や花やくらげのしおりは光に透かすと本当に綺麗だ。
もちろんあくまでしおりなので、紛失することもあるし、摩耗して駄目にしたことも沢山ある。だからデザインフェスタに参加する時は訓子さんのしおりを複数枚買い込んで大切に使って行くことにしている。
デザインフェスタの売り場はこんな感じ。
ここに毎年すごい人だかりが出来る。
しおりを使っている人は、本を読むだけじゃなくて、読書そのものを楽しんでいるような趣がある。雲が好きなパイロットとか、足音に耳を澄ませるマラソン選手、木材が好きな大工...そんなふうに、紙のページをめくって、その時の凪いだ音や紙の匂い、文章の韻を楽しんでいて、それはそれで風情がある。
ちょっと世間に出回っているしおりの写真をいくつか出してお喋りを続ける。
革製のしおりは良い匂いがするし、やはり上品だ。色も革にしか出せない色があるし、何より劣化しづらく強い。ただ難点なのは厚みがあるためページが歪んでしまう恐れがある。だから僕は革のしおりはそんなに好きではない。
大型書店のレジ横に売られているのはこういうタイプだったと思う。
金ぴかで精密な形をしていて、これも上品だ。
かなり薄いのでページを傷つけないし、劣化もしづらい。種類が豊富でこだわれるのが良い所だ。ただ、面積はあっても細長くないので、ちょっと紛失やすいのが難点だ。
もちろんきちんと挟んでおけばそんな心配はいらないのだけれど、僕は怖くてあんまり使ったことがない。
ペーパーナイフのような形をしたしおりもある。
この金属質の部分をページに挟んで本を閉じるとアクセサリーがぴょんと出て可愛らしい。これも上記と同じ理由でページが歪む恐れがあるが、考えてみれば同じページにしおりが居座り続けるわけではないのでたいした問題ではないのかもしれない。
文豪の名言が書かれた紙製しおりも多い。
上のしおりは宮沢賢治のものだが、今喉から手が出るほど欲しい一品だ。
「下ノ畑ニ居リマス」というのは宮沢賢治が従事していた学校の黒板に今でも残されている文章だ。こういうのがしおりになっているとなんだかぐっとくる。
他にもこれも宮沢賢治の詩になるが、
諸君はこの颯爽たる/諸君の未来圏から吹いて来る/透明な清潔な風を感じないのか/それは一つの送られた光線であり/決せられた南の風である
というものがあって、この詩を初めて読んだとき、とてつもないエネルギーをもらった感じがした。「透明な清潔な風」というところが良い。どこかで聞いたことあるという人はひょっとしたら伊坂幸太郎の「魔王」を読んだのかもしれない。
(小説もあるし漫画もおすすめ。超面白いです)
脱線してしまった。
言いたいことは全部言えた気がする。
僕は、新しい本を数ページ読んでそこにスッとしおりを挟む瞬間や、読み終わった本にはさまったしおりを惜しみながら抜くのがとても好きだ。
書店や文房具屋に寄ったら、ちょっとしおりコーナーを覗いてみてほしい。
想像を超えてしおり市場は賑やかだし、とにかく楽しそうだし、一度自分でしおりを「買う」体験をすると、元々ついてくるぺらぺらのしおりなんて、使えなくなってしまうだろう。