鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

お買い物論

買い物について論じてみろと提案されたので考えてみた。

今回は「自分は何のために買い物をしてるんだ?」というところから買い物を図式化しながら話してみるよ。 

 

 

買い物を細分化してみる

 

 

 

買い物には大きく分けて二種類あると考えられる。

それは「残る買い物」と「残らない買い物」である。
 
 

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前者は服・家電・文房具など。後者は食事・飲み会・交通などだ。
難しいのは映画、旅行などの「目には見えないけど思い出には残る」というものだが今回はわかりやすく「残らない買い物」に入れせさて欲しい。
 
 
 
残る買い物
 
 
まさに今はバーゲンや年始セールのシーズン。一番買い物が楽しい時期だと思う。
利点は、買ったものが物質として手元に残るので何を買ったのかわかるし、それを実用的に使うことができる。そして不要となれば売ることができる。ここが重要なポイントだ。欠点は、買ったものは身の回りに置かなければならないわけで、車なら車庫を、服ならクローゼットを、本なら本棚を圧迫することになる。
 
 
 
 
 
残らない買い物
 
 
 
 
旅行も映画も学校も、経験と体験にお金を払っているということになる。ゲラゲラ笑ったり、色んな美しいものを見たりして、手元に物質としてなにも残らなくても記憶としてはきちんと残れば自分の糧になるはずだ。利点は、支出と引き換えに経験や体験を得ることができるということ。また、何百回映画を観に行っても物質は増えない。せいぜい映画チケットくらいだ。欠点は、物質として何かが残るわけではないので、例えば旅行に行ってもそのことを忘れてしまっては意味がないところだ。映画にしても内容を忘れてしまえば行ってないのと同じだ。そして幸か不幸か、思い出は要らなくなっても売ることができない。
 
 
 
 
 
両者をさらに二つに分類してみる。
 
 
 
 
 
 

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残る買い物は「長期型」と「短期型」に分けることができる。車やカメラは一度買ってしまえば壊れるまで手元に置いて使い続けることができるが、薬やガソリンは買った時は手元にあっても消耗してしまえばいずれなくなってしまう。
買えばしばらくは使う事ができるものが「残る長期型」で、消耗が前提の買い物は「残る短期型」というわけだ。
 
 
また残らない買い物も「長期型」と「短期型」に分けることはできないだろうか。
食事なり映画なりは「お金を払ってこれだけの体験ができた」という満足感がある。体験は記憶になり、記憶は経験になるのでこれは「残らない長期型」だ。逆に普段の電車料金や携帯料金はその場限りの支払いであり、一般的に思い出になるわけでもなければ経験として自分のなかに蓄積されるわけでもない。ゆえにその場限りお金を支払う「残らない短期型」である。
 
 
 
図は以上四つに分類した買い物をマトリックスにしたものでる。
 
 

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ではこの中でどれが本当にもったいなくて、削減すべきなのかと言うと、これは簡単には断定できない。もう着ない服も、退屈な映画も、行きたくもない飲み会も存在するからである。そして同時に言えるとすれば、着ない服は売ればいいし、退屈な映画も話のネタになる。行きたくなかった飲み会での出会いがチャンスになるかもしれないのだ。そういう意味もかねて「断定できない」のである。
 
 
 
 
 
ではいくつか例を出してみる。
読者の方も一緒に考えて欲しい。
 
 
 
 
煙草はどこに分類されるだろう。
 
お金を払って煙草を買っているわけだから、物は手元に手に入る。が、吸っていればいつか無くなるので「残る短期型」だろう。
 
 
 
ではキャバクラはどうだろう?
 
接待で行くならまだしも、快楽のために通うのであれば「残らない短期型」だろう。
 
 
 
 
 
AKB48の握手券付きCDは?
 
単純にCD目的であれば「残る長期型」かもしれないが、握手券であれば「残らない短期型」に分類できるかもしれない。
 
 
 
猫を買うとしたら?
 
いのちを消耗品と考えるかどうかだが、煙草や薬というよりは車のように長い間手元に置くものではある。いのちをこういう風に捉えるのはお行儀が悪いが、「残る長期型」だが、長い目で見て猫はいつか死ぬわけだから猫との思い出を鑑みて「残らない長期型」に入れるのは多少乱暴だろうか。
 
 

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こういう風に考える癖をつけると買い物に対して「これは何の為に買うのだ?」という論理的思考が身に付くかもしれない。なんとなくスタバに入りたいとき、「これは残らない長期型なのか?短期型なのでは?」と踏みとどまるかもしれないし、服を衝動買いしそうになったときは「あとで冷静になったら残る短期型どころか、残らない短期型で終ってしまうかもしれない」と考えを巡らせることができる。
 
 
 
勘違いして欲しくないのは、以上の4つの分類のうちどれが正しくて間違っているかということではない、ということだ。大切なのは「自分が何にお金をさいているのか」を意識することであり、「買う理由」「買わない理由」を論理的に理解することだからだ。
 
 
物を買えばその分部屋は狭くなる。その物に対して意識を払わなければならなくなる。
車と猫とテレビを持っていれば、車検と予防接種とテレビの操作方法について時間をさかなければならないということだ。
事を買えば物は増えないのにお金が去っていくことになる。経験が増えてもその経験が日の目を見る可能性は100%じゃない。飲み会・コンサート・仲間内での旅行。本当にそれは経験として自分の中に蓄積されるだろうか。
 
 
 
 
何のためのお金なんだろう
 
 
 
 
お買い物は楽しい。僕もお買い物は大好きだ。
 
ただ、お金を払うときに、「これはこういう理由で買うんだ」とわかってるだけでも随分違う。極端に言えば、幸せになれる。怖いのは何も考えずにお金を垂れ流すことだ。
 
 
 
 
 
どうやらわれわれはお金を払い続けなければ生きていけないようです。それが嫌ならジャングルでどんぐりやきのこを取って食べる生活をするしかない。
 
 
 
何をするにも自分で選択して生きていかなければならない。
そうしなければ、ただ搾取される豚になってしまうのだから。