鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

ランニングは祈りに似ている

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最近瞑想について勉強しているのだけれど、「わざわざ瞑想しなくてもこれと似たこと良くしてる気がするなぁ..。」と考えてみたらランニングだった。

 

僕がいわゆる「ランニング」をするようになったのは15歳の5月ごろなので、だいたい9年くらいランニングを趣味としていることになる。今やランニングは僕にとって欠かすことのできない祈りのようなものだ。

 

普段生活していると自分がわからなくなる。と書くと幾分不親切なので言い換えると、たまたま褒められて本来以上に自分が大きいと思ってしまったり、叱られたことで自分を必要以上に卑下してしまったりして、人って環境や人間関係によってどうしても自分の価値を上げたり下げたりしてしまうイキモノなんじゃないかと思う。それによって等身大の自分を正確に把握するのって普通に生きてたら難しいのでは、とも思う。(等身大の自分なんてものは存在しない、という根本的な議論はここではしないとして。)

 

僕はランニングをしていると思ったよりも走れない自分に気づく。途中で集中力が切れそうになって考え事をしてしまう甘さだったり、後半数キロで腕の降りが悪くなる弱さが見えてくる。背伸びも卑下もしない本来の自分=0地点の自分に戻ることができる。

息を切らせて(よせばいいのに毎回最後は全力疾走する)ランニングを終えると汗まみれになって「戻った」感じがするのだ。その瞬間が僕は好きだな。