それ、会話のキャッチボールじゃなくてピッチングや
一方的な会話
長い話を聞いた。
それは自分の趣味の話からスポーツの話になり、それから自分の体型の話になり、それから健康の話になり、あ、なんの話だっけ?そうそう、スポーツの話じゃんって言ってスポーツの話に戻ったかと思いきや子供の頃の習い事の話になった。
側から見れば、確かに僕と彼は会話しているように見えたかもしれない。
しかしそれは会話ではなかった。
それはキャッチボールではなく、ピッチングであった。
ピッチング的会話
僕は正直ピッチングの会話に少し疲れた。
ピッチングの会話はお互いが対等な立場にない。
一方的に喋り続ける人がいて、もう片方のいわばキャッチャーは「へえ」とか「それはひどいね」とか「嘘でしょー」とか言って相手に相槌をかえす。
いわば山なりのボールだ。
ピッチャーはどんどん投げてくる。
好きなボールをだ。
次はどんなボールを投げようかな。
あ、そういえばこないだこんな面白い話があったぞ。
ああそういえば昨日あったムカついた話もしたいな。
でもここでこんな話もあって.....。
僕はそれを必死に取りこぼさなように取るのである。
哀れなキャッチャー。
即席のバッテリー。
僕の膝や腹はグラウンドの土埃で泥だらけになって、
それでも僕は定型的な山なりのボールを投げる......。
本来、ピッチング的会話はキャッチャーが楽だ。特に僕みたいな喋るよりは聞く方が楽な人間は相槌を300種類くらい持っているので「へえ」とか「うわー」とか「それ本当?」とか「まさにそうだよね」とか言っていれば時間が経ってくれるのだ。
僕だってピッッチャーになって好き勝手にボールを投げたいぜなんてちっとも思ってないんだ。これは本当。
キャッチボール的会話
そもそも僕が真の意味でキャッチボールを楽しめる友人がどれだけいるだろう。
彼らはすごい。
まず僕がボールを投げる。
そうすると彼らはキャッチャーに甘んじるのである。
具体的にいえば、
相手が「へえ、自転車ってスポーツ用のはそんなに高いんだ。時速何キロくらい出るの?」と言う。この時、彼はキャッチャーを宣言するのである。「今から僕が生徒をやるからお前は先生をやってくれ」と言うサインを飛ばしてくれるのである。彼は頷いてグローブをまっすぐに構える。
僕はそれに対してボールを投げる。
「それは人によるんじゃない?」なんて言うボールを地面に叩きつけるようなことはしないように、また、「俺なんて時速50km出せるよ。下りなら70km以上出せるしね。こないんだなんてヤビツ峠って言う峠が秦野にあるんだけど.....」なんて言う暴走気味のノーコンも投げないように気をつける。
やってしまうことも多いけれど、とにかく気をつけることは気をつける。
そう、このノーコンをやられると萎えるんだよな。
しかしボールの投げ方は自由だ。
「君でも時速40kmは出るよ」とか
「僕だと時速50kmくらいかな」とか言ったストレートを投げてもいいし、
「プロだと時速80km出るよ」みたいなカーブを投げてもいいかもしれない。
僕はだいたい喋り終わったら「まあ自転車は機材スポーツだから値段次第で性能も変わってくるよね。君がやってるサッカーだってスパイクとかピンキリだろ?」と水を向ける。今度は僕がキャッチャーになる番だ。
ねっこうやって代わり番こに喋ればいいじゃない?
僕はたまにこう言うことをしたいんだけど...。
そうだ。
こうやって会話のキャッチボールは続くんじゃないか。
それとも僕の考えすぎなのだろうか。
マクドナルドにいる高校生はすごい。
ピッチングなのに両方ピッチャーだったりする。
キャッチャーがいないんだ。もう。
もう自分が話したい欲望だけが先行して、それが相互に発信しているものだから、これはもうピッチングでもキャッチボールでもなく会話のドッチボールだな。
まあこの文章の最終的なオチを用意するとするならば、
このブログを書くと言う行為がそもそも純粋なピッチングに他ならず、決してキャッチボールになり得ないと言う根本的なジレンマだろうか。
今日はちょっと行間をとって書いてみた。
読みやすいかしら?
おしまい