好きな人とばかり付き合って大丈夫なのか
好きな人とだけ付き合っていいのか
このことに関して僕の中で最終的な結論は出ていないのだけれど、
とりあえず進捗として考えていることを書いておこうと思う。
小学校の時からある「島」意識
小学生のとき、クラスの中でも仲良しグループがいくつもあった。
ガキ大将を中心としたいじめっ子グループとか、アニメや漫画が大好きなオタクグループ、昼休みにすぐ外に飛び出していくスポーツグループ。
どうしてクラス全体が仲良くならずにこうしてグループが生まれるのかというと、人に個性があるからだと考える。あるいは話が合う合わないといった趣味趣向の問題かもしれないけど。
委員会とか授業の班わけでガキ大将とオタクが同じチームで協力しなくちゃいけなくなったりするとお互い「こいつとかよ」っていう気分になって、こういうのって子供ならではの悩みだよなーってため息ついてたけど社会人になっても大抵飲み会で同じ体験するんだよね笑
気の合う友人
それで、えーっとそうだ、要は全員と仲良くする必要はないわけだ。
なるべく自分に感覚が近くて、趣味とか合う友人を見つけてうまい具合にやっていけば一番快適に学生ライフを送ることができる。
その気分のまま大人になってしまった。
僕はいまでも気の合う人にしか気は許さないし、「この人とは感覚が合わないけど有意義だから一緒に遊ぶ」ということは原則としてありえない。だから僕は人付き合いしていく中で「ああーやだなあ」って思うことは基本的にはないし、おかげさまで気の合う仲間たちと快適に過ごしている。
そんな中冒頭の命題が出てくる。
これでいいのか?と。
売れない劇団員
前にも引き合いに出したことがあるかもしれないけれど、「売れない劇団員」の話がある。売れない劇団員たちが、どうして自分たちが売れないのかについて話し合っている。でもその話し合いは平行線をたどる一方でいつまで経っても打開策は出てこない。当たり前だ。売れない劇団員同士で会話してるんだから、打開策なんて出るはずがないんだ。必要なのは売れる劇団員に相談したり、あるいは劇団に新しい優秀な劇団員を引き込むことだ。
ドイツの物理学者アルベルト・アインシュタインの言葉を引用するなら「我々の直面する問題は、それを作った時と同じ考えのレベルで解決することはできない」である。
僕と僕の身の回りが売れない劇団員だと言うつもりは毛頭なく、
レベルの高い低いの問題ではなくて多様性の問題なのだ。
ルフィは島を越える
海賊漫画の金字塔・ワンピースの海賊団一味は様々な困難に直面してもそれを切り抜けてきた。それはたくさんの仲間がいたからだ。いくら主人公のルフィが主人公補正が強かったとしても、ルフィが10人いるような海賊団を作ったら同じような困難を乗り越えることは不可能だろう。
多様性が相互補完的に組織を生かしているのだ。
相互補完的な組織を運用していくためにルフィはそれぞれの仲間と信頼関係(アライアンス)を結ばなければならない。ビビリのウソップ、お金が大好きなナミ、子供っぽいチョッパー、女に目がないサンジ、堅物のゾロ...(省略)
これは冒頭の小学校のグループの例で言えばたくさんの別グループにちょっかいを出しているようなものだ。
ガキ大将グループと仲良くしながら、おたくグループとも仲良くして、スポーツグループとも信頼関係を結んで、おまけに女子グループとも分かり合える。そんな委員長なんてあり得るんだろうか??八方美人的な印象を与えて社会的に死んでしまう気がするのは僕だけだろうか。
僕が抱いている漠然とした不安のまとめ
僕の不安をまとめると、
僕は今、気の合う人とだけ付き合って非常に快適に過ごしているけれども、これは誤解を恐れずに例えるなら「売れない劇団員」の状況に陥りやすい状況を作り出しているのではないかと言う懸念がある。
自分は自分と同じような性質を持った人といるのが楽なので、結果的に自分と全く違った人と関わる機会を損失し、全く成長できなくなってしまうのではないかと言う危惧がある。それはルフィが10人いる海賊団のように偏っていて、何か有事があった時に何も対策が取れない可能性が高いことを示唆している。
それで、それにたいしてまるで栄養を満遍なくとるみたいに、肉を食べたら野菜を食べるように、自分と全然違う価値観を持った「合わない」人でもちょっと無理しても付き合って人脈を持つべきなのか?と思うこともあるわけだ。
その辺の葛藤によって今日の記事は生まれた。
さらに乱暴な聞き方にしてシンプルにまとめるけれど、
皆さんの周りの人はあなたに似ていますか?似ていませんか?