コップを満たすように会話する
僕はいつも人と話すときに、コップを意識している。
透明で背が高くて、ガラス製の、朝の牛乳がよく似合いそうな透明なコップ。イメージとしては、二人で会話しているときにお互いに空のコップを持っておしゃべりしているような、そんな景色。
相手のコップは空っぽで、中に水は入っていない。
僕はそれを満たすように会話するように心がけている。というはなし。
人は聞いてもらいたいのだ。
自分の話を聞いてもらいたくて仕方がない。少なくとも僕はそう思う。
村上春樹が「1973年のピンボール」で触れたように、世の中には話したい人ばかりがあふれていて、聞きたい人が不足しているのだろう。
昔こんなことがあった。
同級生に悩み事があって、「私はこうしたいんだけど、親はこうしなさいって言ってて....どうしたらいいと思う?」というような相談を受けた。
僕はそれに対して自分なりに一生懸命考えてから、その人のことを考えて自分の意見を述べて、そして「だから君のしたいようにやったほうが後悔しないよ!」と結んだ。
すると同級生は「そうだよねー。でもなー親の言うこともわかるのよねー。」とごにょごにょ管を巻いていて、「なんだい、こっちは相談をきいたから意見を述べたのに!」と不満が残ったのであった。
僕は今振り返ってみて、僕は相手の相談をきいたというよりは、「自分の考えを雄弁に語って、満足したかった」だけだったのだなと思う。つまり、コップを満たしたのは僕のほうだったのだ!
僕が話したいことを話したいだけ述べて、相手が「あなたの言うとおりだ!あなたはすごい!相談してよかった!」と称賛してくれる。そういうシナリオを想像していたからこそ、相手が管を巻いたときに不満が残ったのではないか。
あの時、同級生は確かに「どう思う?」と言ったが、彼女は僕の意見を聞きたかったのではなく、もっとあれこれ悩み事を話したかったのだ。例えば、僕が「そうだね。君の言うこともわかるけど、かといって親の言うことを無視するのも難しいよね。」と水を向けてあげれば、僕は同級生のコップを満たすことができたのかもしれないのだ。
まあ、逆の話で、
僕はイライラしてたり怒っている相手と会話するときは
同じようにコップを意識する。
そのコップにはなみなみと水がはいっている。
それは彼のストレスだ。
彼はそれを空にしたくてたまらない。
そんな状況を想像して会話を心がける。
怒りが自分に向けられていようと、全然関係ないほうを向いていようと、僕はそのコップをじっと観察しながら、中のコップを減らすために会話を振ってみたり、あいづちを変えてみたりする。コップはどうやったら減るのかといえば、話すこと、そして共感してもらうことで減らすことができる。
と、こういうことを書くと「なぜこっちが相手のコップに気を使って会話せにゃならんのだ」という意見でもでそうだけれど、それは相手とより良い信頼関係を結ぶためである。
完全に話がそれるけれど、最近僕が考察している言葉があって
「金はこの世で二番目に重要。一番大事なのは信用」というものだ。
まあ一番大事なんだから気を付けないとね...っていう具合なんだけど。現にクレジットカードはお金があっても信用がなかったらつくれないからね!笑
みなさんも相手と会話するときにぜひ、コップを満たすために相手の話していることば、その言葉を出させている気持ちに耳を傾けてみては。
おしまい