読解が理解力を担保する
「そだねー」では終われない
*もちろんカーリング選手を揶揄する目的は毛頭ない。
今、日本人の語彙力がやばい。
最近の若者が本を読まなくなったから...というのは
間接的には関係あるかもしれないけれど、僕はSNSの発達が
世の中の語彙力の低下を助長しているんじゃないかと思っている。
僕たちは今まで以上に自分のことを気軽に発信できるようになった。
「スカイツリーなう」とか「ここのパンケーキ最高」とか。
それらは短文で、しかもすぐに理解できるように簡単な表現で発せられる。
表現する媒体がスマートフォンで、発信している場所が出先である以上、これは当たり前のことだ。家の書斎で原稿用紙と万年筆を用意したら女子高生でももう少し深みのある文章を書くだろうよ。
ストリーミングするテキスト
そしてそれらの取るに足らない投稿はストリーミングされる。
つまりどんどん流れていくのだ。メールのように来た情報がボックスに保存されていくのではなく、テキスト情報はあくまでネット上にあって、最新の投稿のみをなるべく早くローディングしているにすぎない。
そして読み手からすれば情報はどんどん流れていく。
昨日投稿された友人の「スカイツリーなう」はとっくにタイムラインの底の方に流されて、別の友人の「残業しんどい」が新しく投稿されている。
読み手はそれに対して「イイネ」ボタンを押してリアクションを取ることができる。
これは単純に相手に共感している場合もあれば、既読を相手に伝える意味合いも含まれる。この「イイネ」という感覚こそが、2000年代の人間が持っていなくて、今の若者が持っている感覚なのだ。
「スカイツリーなう」という投稿に対するリアクションは人によって様々だろう。
「いいなー私も一度行ってみたかったんだよね」も「イイネ」。「あなた前から行きたい行きたいって言ってたもんね。やっと行けてよかったじゃない」も「イイネ」だ。
人が発した発言に対して、それを読解して、自分なりの意見を言う暇もなくSNSのタイムラインは流れていく。それはほとんど価値のない情報の濁流だ。僕たちはその無数の投稿に対して「イイネ」かそうでないかを電気信号的に反応するするのが精一杯だ。
逆に。ある投稿に対してきちんとした返事をすると不審者扱いされたり、空気の読めないやつ呼ばわりされることがある。
「漫画"君に届け"終わっちゃった〜」という投稿に対して「とうとう終わっちゃいましたねーっ!私は元々単行本で追ってたんですけど途中から我慢できなくなって別冊マーガレットをちゃんと購読するようになったんですけど、それから他の漫画ものめり込むようになって、そう言う意味でも"君に届け"ってすごく個人的に感謝している漫画なんです」と言う長文リプライが知らない人から滅茶苦茶怖い。
え、重いんですけど。とか、
そんなグイグイ来られても...と言う印象を相手に与えるだろう。
日頃のコミュニケーションが電話からSNSやメッセンジャーアプリに移行し、読書をする人の数は減り続けている。そしてパソコンとスマートフォンの普及によって人は字を書くのを辞めてしまった。だから日本人の語彙がやばい。
新聞が読めない
先日久しぶりに新聞を読んだら何が書いてあるのかわからなくて焦った。
日頃から小説や学術書は読んでいるつもりだったけれど、新聞には新聞の書き方があり、読み方の作法がある。
新聞の見出しを読んで、内容を目で追う。
非常に論理的な論調で事実がつらつらと書いてあるのだけれど、句読点で区切られないまま数行あれこれ書かれると、最初の方の内容と今読んでいる部分の脈絡が繋ぎ切れなくなって「あれ今なんの話してるんだっけ」状態に陥ってしまう。
僕はこれはまずいと思った。
僕は普段から小説や学術書を読んでいるつもりだから、人より活字には耐性があるつもりだ。文章読むの好きだし。それでも普段不慣れな文体のメディアに触れるとうまく一回で読むことができない。つくづく読解力って言うのは筋肉と同じで使わないと衰えていくのだと思った。
文章を触れる機会が少なくなったからこそ、サプリメントで栄養を補うサラリーマンのように積極的に文章を読む習慣をつけて読解力を落とさないように努力しなくてはならない。それが今回言いたかった結論である。
新聞もほんとは毎日読まなきゃいけないんだなーとは思っているのだけれど..。
おしまい