鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

本を読む

 

 

養老孟司の「ヒトの壁」を読んでいる。

今度はヒトの壁かよ大きく出たなぁ!と思って読み進める。

養老孟司って死んだんだっけ?」と親に訊いたらどうかな死んでないんじゃないかなと言うので調べたらご健在だった。死んでない人に対して死んだんだっけ、と言うとすごく失礼なことをしてしまった気持ちになる。そりゃそうか。失礼なんだから。大変失礼いたしました。

 

懲りずに本を読んでいる。

世間では本を読んでいる人々の中でそれを殊更鼻にかける人に出くわすことがあるのだけれど、本を読むのはさほど偉いことではないと思う。子供の頃はやはり本を読むと読解力がついたり、想像力が培われたりするから偉いという話になると思うのだけれど、誤解を恐れずに言えばいい歳した大人が本を毎日読み耽っているのはよほど暇なのか、あるいは孤独なのだと思う。それで、僕は暇だし孤独なので本を読んでいるのである。

 

ここ5年ほどは小説を読んでいない。読めなくなったと言えるかもしれない。日常を生きているとそれだけで情報量がすごいことになるので、それに加えて空想の登場人物の人間関係に思いを馳せるだけの精神的な余力がないのである。主人公が恋をしたり、悪者と戦ったりしている以前に、僕は現実世界で笑ったり怒ったりしているわけで、自分のことで精一杯なのだ。それでもっぱら新書みたいな本を読んでいる。つまりは「ヒトの壁」である。

 

そう言うインテリっぽい本を読んでいても賢くなった感じはちっともしない。サッカー選手が愛用しているリストバンドを付けたからと言ってサッカーが上手くなるわけではないのと同じで、賢いひとの本を読んだからといって賢くなるわけではない。

とはいえ、せめて人やものの名前は覚えることにしようと心に決めて、本に登場する固有名詞は覚えようと努力している。そうすると人に何か説明するときに引き合いに出すことができる。何か具体例を出して人に何かを説明するときに固有名詞がしっかり出てくると説得力がある。気がする。その説明に意味があったとしても、なかったとしてもだ。