あれのはなし
「おい、お前、あれはどうした。」と亭主が妻に尋ねる。
「あれって言ったってわかりゃしないわ。何のことよ?」
「おい、お前ならわかるだろう。あれだよ。」
「ああ、いやだわあなた。もう使うこともないだろうからって前に捨てたじゃありませんか。」
「いやぁ。そんなばかな。どこかにあるはずだ。」
亭主は書斎を出ると秘書に尋ねた。
「おい、君、あれはどこにあるかね。」
「あれとは、何のことでしょう。」
「あれと言ったらあれだ。わからんのか。」
秘書は思い当たったようにうなずいて、
「あれならお孫さんが割って壊してしまったじゃありませんか。」
「そんな馬鹿な話あるもんか。割れてなぞおらぬ。」
亭主は困惑したように階段を降りて、掃除をしていた召使いに尋ねた。
「おい、あれを見なかったか。」
「あれとは何のことでございましょう?」
「あれといったらあれをあれするやつだ。見なかったか。」
召使いは気の毒そうに「あれは旦那様が酔っぱらったときに飲み込んでしまったではありませんか。」と言った。
「飲み込んだりするもんか。そんなことをしたら、わしはもう仏様じゃ。」
亭主は急いで受話器を取ると、出張中の息子に電話をつないだ。
「おぉ、息子よ。あれはどうしたか覚えているか。」
「パパ、今忙しいんだけど、あれって何の話だい?」
「あれだよ。お前がよく知っているだろうに。」
息子は事情を察して「パパ、あれはもう暴落してほとんど価値なんかないさ。」
「お前には血が通っていないのか!そんなことあるもんか!」
亭主は受話器を乱暴に切ると、ベビーベッドにいる孫にキスして話しかけた。
「おぉ可愛い孫よ。あれがどこにあるか知らんかね。」
「あぶあ」
そういって孫は亭主の眼鏡を興味深そうにタッチした。
「なんだ、こんなところに。」あれはずっと額の上にかかっていたのだ。
「あなた。足踏みミシンは見つかったかしら?」と妻が階段を駆け下りてくる。
「旦那様、全く同じ中国の100万ドルの壷がオークションに出品されるそうですわ!」と秘書が受話器片手に駆け寄ってくる。
召使いが土だらけの格好で「旦那、あの頃のペットと瓜二つのヒキガエルがいたもんで!」と嬉しそうに報告する。
「パパ、あの株だけど、吸収合併で持ち直すみたいだよ!」と電報が届く。
「お前たち、そんなに騒いで一体どうしたんだ?」と亭主は困惑した顔であたりを見回した。