鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

空気中テクノロジ 3

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(前回までのあらすじ)

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 僕はエレベーターに乗り込んで「閉」ボタンを押した。ポイントは、階数のボタンを押すより先に「閉」ボタンを押すことだ。階数ボタンを押してから「閉」ボタンを押すのは実は時間のロスが発生するのだ。「閉」を押してから扉が閉まるまでの間にゆっくりと階数のボタンを押せばいいわけだから。ところが大抵の人は僕が階数ボタンより先に「閉」ボタンを押すと「こいつ階数ボタンを押し忘れているのでは」と言う気配を発するのだ。わかってないな、と毎回思う。

 

 扉が閉まるタイミングで受付嬢の後ろ姿が見える。受付嬢は僕を処理し終えてパソコン作業に戻っていた。ちょうどエレベーターからパソコンの画面が見える。画面上にはソリティアが表示されていた。受付嬢は仕事中にソリティアをしていたのだった。いろんな仕事があるな、と僕は思った。

 

 5階に上がるとフロアは静まり返っていた。正面のパーテーションに「社長にご用の方は右手奥の応接室にてお待ちください」と書かれたコピー用紙が貼られている。それに従って応接室へ向かった。

 応接室に入ると部屋の中央に大きな会議用テーブルが置かれていて、いい感じに植栽が隅に置かれていた。応接室と言ったらやっぱり植栽だよなぁと感心する。壁にはモニターが取り付けてあって、多分ここでリモート会議とかをやるのだと予測をつける。なんとなく下座っぽい方に座る。正面のパーテーションには絵画が飾ってある。銀色のユニコーン土星の周りを優雅に飛んでいる絵だった。ユニコーンの角は不自然なほどに長くて、まるで避雷針みたいだった。ユニコーンも雷を受けたらひとたまりもないだろうなと思った。

 

 そんなことをぼんやり考えているうちにノックの音が聞こえて、事務員と思われる女性がお茶を運んできてくれた。品のいいグラスに氷が2つ入っていて、麦茶みたいなものが注がれていた。僕はちょうど(ちょっと酔っ払っていたこともあって)喉が渇いていたので遠慮なくそれを一気に飲み干す。お茶は程よく冷えていて、香ばしくて美味しかった。もし市販のものだったらどこで売っているのか後で訊こうかしらと思うほどには美味しかった。

 

 それから暇だったので手遊びをして時間を潰した。左手をパーにして、右手の人差し指で左手の親指に触れる。そして「す・ず・き・ユ・ー・ト・ピ・ア」と言いながら右手の人差し指を動かす。まず左手の親指から、親指と人差し指の間へ、それから人差し指の先へ。それから人差し指と中指の間へ。そう言う具合で指の先端と指と指の間をジグザグに、自分の名前の文字数だけ進むのだ。「す・ず・き・ユ・ー・ト・ピ・ア」で小指の先までいった。右手の人差し指を左手の小指につけたまま今度は右手の親指を左手の親指にあてる。そして今度は「王様・姫・豚・王様・姫・豚」の順番で同じように指の先端と指と指の間を進んでいって、人差し指が触れているところまで進む。結果は「姫」だった。やーい、オトコオンナ。うっせ、バーカバーカ、ブス!

 このゲームを思いついた人は何がしたかったんだろう。王様・姫・というラインナップがすでにヤバい。職業差別とか、男女不平等とか、様々な社会的にナイーブなところにガツンガツンに抵触している。いつの時代も子供は素直で残酷なのだ。

 

 手遊びをしているうちに応接室のドアが開いて、中年の小太りな男性が入ってきた。僕は手遊びをやめて立ち上がり、名乗りながら名刺を手渡す。今度は裏面が紫色のやつだ。紫もあんまり好きな色じゃないから先に使ってしまいたかったのだ。中年も革製の綺麗な名刺ケースから名刺を取り出し、僕に寄越す。彼の名刺はちゃんと91ミリx55ミリの真剣な名刺で、もちろん文字も手書きではなくて印刷だった。名刺の表には「空気中テクノロジ 代表取締役 高岡 大宇宙」と書いてある。代表取締役というのは言葉の響きからして強そうだった。急性アルコール中毒とか、東京交響楽団みたいなハリのある言葉だった。予断を許さない感じがある。

 

 高岡と名乗った中年はどっしりと椅子に腰掛けると胸ポケットから葉巻を取り出して躊躇なく火をつけた。げーっこいつ応接室でタバコ吸うのかよ。「四国に出る虹の欠片を乾燥させて作ったオリジナルの葉巻です」と社長は自慢げに言った。「鈴木さんもお一ついかがですか」と言ってくるが断る。流石に人の会社の応接室で葉巻を吸う気にはなれなかった。

 

「ご用件の前に一つだけ」と言って社長は椅子に座りなおす。「あなたはお茶を飲んだのになぜ平気なのです」

 

僕はちょっとびっくりして空になったグラスを見下ろした。お茶は全部飲み干していたので少し溶けて丸くなった氷が親のいない兄弟みたいに身を寄せ合っていた。「お茶に何か混ぜましたか」と試しに訊いてみる。

 

 高岡は気まずそうに咳払いを一度して僕の方をまっすぐ見据える。

「失礼ながら、御社のことは聞いたことがない。なので、お茶に混ぜ物をして眠っていただいて、会社からご退出願おうと思っていたのです。お茶にはソメイヨシノが揺れた時に発生するそよ風をブレンドしてあります。風を蒸さずにそのままお茶に溶かすと、強力な睡眠薬になるのですが」

 

 あなたはなぜ眠らないんですか、と言うことだった。なんだそう言うことか。

実は僕は21歳の時に高速道路の料金所で間違えてETCレーンに入ってしまったことがある。その時に駆けつけた係員にお詫びとしてパインアメをあげると、代わりにジュウガツザクラのワクチンをこっそりくれたのだ。インフルエンザの予防接種を受けた時にこっそり盗んだもので、ヤフオクで売ろうにも足がつくから結局売るわけにもいかず持て余していたものらしかった。僕はそれをありがたく受け取って、自分に打った。だから僕はそれからサクラに関する病気をしたことがない。まさか混ぜ物の毒物を飲んでも平気だとは思わなかったけれど、思わぬところで役に立って本当によかった。と思った。この経緯を説明してしまうと料金所の係員に迷惑がかかってしまうかもしれないから「僕はサクラのワクチンを打っているので、そう言うのは効かないんですよ」と端的に説明したのだった。我ながらカッコいい台詞を決めてしまったな、と照れ臭くなった。

 

 

(つづく)

 

 

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