実家の犬が死んだ 前編
実家の犬が死んだ。19歳だった。
先週あたりから「トミー(実家の犬の名)が立てなくなった」「時折痙攣するようになったから動物病院に連れていく」という実家からの連絡があり、いわゆる峠というものが来ているということをお医者様から言われたので、もう長くないということが家族間の共通認識として横たわっていた。
そもそも19歳といえば、トミーが小型犬であるということを差し引いても長寿だ。人間で言えばとっくに90歳を超えている。正直、いつ死んでもおかしくない。十分大往生だし、むしろよくぞここまで、大病もせずにお疲れ様でした、という具合である。そういう経緯もあって、ショックはなかった。来るべき時が来たか、と思った。
トミーが危篤だという連絡の翌日、両親がそれぞれ用事があって家を空けざるを得ないことが判明し、さすがに危篤の犬を置き去りにするわけにもいかず(そしていつ死ぬかもわからない時限爆弾のような犬をペットホテルに預けるわけにもいかず)1日家にいてくれないか、と両親から要請があった。それで僕は日曜日、丸一日実家にいて犬を見守ることになった。
YouTubeを見たり本を読んだりしながら好きに過ごそうと最初は思っていたが、当のトミーは割と頻繁に嘔吐するし、苦しそうだし、突然痙攣し始めたりするしでせわしくなく、文字通りいつ死ぬかわからない状況だったので想像以上につきっきりだった。
もう耳も遠いし、目なんかほとんど見えていないのだけれど体を優しく撫でると安心している雰囲気が伝わってきて愛おしかった。
結局その日の夕方になって母が帰ってきたので安心してバトンタッチして家に帰った。
母曰く翌日の9時に動物病院に連れて行って点滴を打つというので、あとは急遽来ることになった妹と父含めて3人体制で犬を看病して明日に備える、という段取りだった。
それから家に帰って寝た。
翌日起きたら「トミーが死んじゃったよ」というLINEが届いていた。
僕が帰ったその晩に痙攣を起こして、そのまま死んでしまったのだ。
僕はすぐさま会社に行く支度を最低限整えて、バイクを飛ばして実家に顔を出した。実家には父と母と妹がいて、全員さめざめと泣いていた。すんごい泣いていた。お通夜だった。
トミーはもしもの時にと母が買っていたペット用の棺に入れられて長い眠りについていた。足を軽く折り曲げられていて、安らかな寝顔だった。耳毛とかがやけに痩せ細っていて、昨日見たはずなのに、こんなに老けていたっけかな、と思った。
昨日撫でたみたいに身体を撫でると、身体がすごく冷たかった。昨日はすごくあったかくて、毛もふわふわで、息をするたびに身体が動いていたのに。
身体はすごく冷たいのに、毛は生きていた時と同じようにふわふわなのが悲しかった。
トミーはもうここにはいないのだ。
ここにあるのは入れ物で、中身はもう全然ここにはなくて、もう二度と帰ってこない遠いところにいるのだということがわかった。見た目は全然、寝ているように見えるのだけれど、トミーは二度と目を覚さないし、呼んでも寄ってこないし、頭を撫でても笑ったりもしないし、散歩の時に身体をブルブルして喜びを体で表現することもしないのだ。それは寝ているのとは全然違う、取り返しのつかないことだった。
家族は全員、一生分泣いたくらい泣いていて、父は「人が死ぬより悲しい」みたいなことを言っていた。言わんとすることはわかる気がする。人が死ぬのと、犬が死ぬのは割と出来事として別ものだ。それはどっちが上とかではなく、ペットという、いわば100%我々を信頼していて、そういう自分たちに寄り添ってきた動物が死ぬというのは、相当に衝撃的なことなのだ。ペットを失った人にしかわからない悲しみの種類だった。
僕は泣かなかった。
だってもう危篤だったわけだし。19歳生きたのなら、「悲しい」よりも「今までありがとう、お疲れ様」って感じだ。昨日もずっと一緒にいたから、そういう時間があって良かった。死ぬ瞬間も妹とかが付き添っていて、死に目に会えて良かった。
これからやけに苦しむ時間が長引いたりしたら、人間も疲弊してしまうし、犬だって辛いだろうし、立てなくなってからあまり苦しまずに天国に行けたのは良かったー。
などと良かったことばかり探してしまう自分がいた。
それでも「トミーが死んじゃった」と言いながら泣きじゃくる家族を見ていると「でも良かったこともあるよ」みたいなことを言える空気でもなくて、とにかく父も母も妹も泣いていて、自分だけが泣いていないと、ひょっとして自分には心がないのかしら、と不安になった。自分はとんでもなく冷たい人間で、トミーのことをなんとも思っていなかったんじゃないかと自分に対して疑わざるを得なかった。居心地が悪かったし、申し訳なかった。気まずそうに僕は俯いていた。「残念だね」とか「トミーも頑張ったよね」なんて差し障りのないことを言いながら。
それから目が真っ赤になった家族と一緒に今後について話をした。
トミーが入っている棺はアイスノンで引き続き冷やす。
トミーは火葬する。墓は作らず、骨は骨壷に入れて持って帰って、家で弔う。
火葬する日を決めて、ペット霊園に予約を入れる。それから火葬する時に添える花を買うなどー。
とにかく早いほうがいいということで、その翌日火曜日に火葬する話になった。
僕は会社に正直に「実家の犬が死んだので午前休をいただきます」と連絡を入れた。
そうして実家の犬が死んで、火葬することになった。
翌日、支度を整えて家族でペットの火葬場へ。
両親は下見で来たことがあるとのことだったが、僕は初見だったので珍しかった。待合室では死んだペットに関する様々な商品がディスプレイされていて、可愛い感じの骨壷とか、写真立てとかはまだわかるんだけど、レーザーで掘ってあるクリスタルスタンドやペットの毛が組み込まれている指輪とか、もうなんでもありじゃんっていうか、商売気がちょっと強過ぎるなあと思った。向こうも当然商売なのは理解するけれど、こちらは動物相手とはいえ喪に服してるわけで、要は物事には節度があると思うのだ。
いよいよトミーを燃やす準備ができたということで、火葬場の建物に入った。
最後のお別れをしてくださいとのことで、家族で棺に入ったトミーの体の周りにお花を添えていった。棺がお花畑みたいになると、さすがに「天国に行きます!」という感じになってよかった。母は「さ、さ、最後のお別れだから」みたいなことを言いながらたくさん写真を撮っていた。
これが本当の最後なのでペットの毛を取るのであれば、今カットしてくださいと促された。正直お骨を自分の部屋に置いておくのも重いから、毛であれば何か容器に入れておけば飾って置けるなと思っていたので、切ることにする。家族が順番にトミーの毛をハサミでちょきんとカットしていく。首の周りの毛とか、あと自慢の耳毛とか。
僕は耳毛を切ることにした。トミーはパピヨンなので若い時の毛先はそりゃもう立派だった。年老いたら耳毛はかなり痩せ細ってしまったけれど、それでもクルクルとカールした毛先は非常にキュートで、僕はそれを触るのが好きだったのだ。