鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

デザイナーと百姓

 

「1つのスキルしか持っていないのはこれからの時代、リスキーだ」みたいなことをホリエモンだか、ひろゆきが言っていたような気がする。

 

例えばタクシーの運転手は、お客さんを安全に効率的に目的地に運ぶことに関しては熟練したスキルを持っているが、自動車が完全に自動化されれば職を失ってしまうし、転職しようにも仕事がない、という状態になりかねない。

 

じゃあ将来性のある、且つ汎用性のある職業に就こう!ということでwebデザイナーシステムエンジニアの仕事が注目を集め、そういう学校への斡旋の広告が驚くほど増えた。特定の職業への斡旋にリソースが集中している様をみると何だか気持ちが不安になる。

 

 

さて、僕はデザイナーとして一貫して働いている。

デザイナーという仕事のイメージは結構面白くて、そういうクリエイティブな職種とは遠い(と自負している)人たちから「すごい!」という感想をもらうことが非常に多い。僕は全然すごくないと思うので、その差異が面白いと思う。

僕からすれば消防士や会計士や大工や農家のように世間から認められている資格なりスキルがある人のほうが遥かにすごいと思うのだけれど、そういう職業の人に限って「デザイナーなんてすごい!」と思うようだ。

絵を描いたり、芸術的なことを発想したりして、それをアウトプットして社会に影響を与える感じが、誰にできるわけでもないわけだから、一握りの人しかなれない才能の職業だ胸を張りなはれ、ということなんだと思う。

 

 

 

 

まぁ、デザイナーといってもピンキリだ。

 

要は、名乗ればその日からデザイナーなわけで。

コメディアンやカメラマンもそう。

 

誰も思いつかないようなすんごいアイデアを出して具現化するデザイナーや、一度見たら忘れられないような洗練されたデザインを生み出す気鋭のデザイナーもいるだろうが、一方で与えられたデータをいじって下に流すだけのデザイナーもいるし、デジタル土方みたいな感じでひたすら同じような作業を繰り返すデザイナーも多いだろう。

だからピンキリなのだ。そのピンキリ具合は弁護士や看護師のピンキリ具合とは比べものにならないんじゃないかと想像している。

 

そもそもデザイナーという職業がカバーする範囲は海のように広い。

ポスターを作っている人も、イベントを企画している人も、車のサイドミラーの形を考えている人も、花器の色合いを検討する人もデザイナーだ。だからデザイナーではない人は「すごい!」で済むけれど、デザイナーがいる仕事圏にいる人は「え、なんの?」という話になる。

 

 

僕は空間デザイナーで、やはりその仕事圏にいる人は「何の、空間?」という質問をしてくることになる。僕は一つのジャンルに尖っているわけではなくて、とにかくありとあらゆるジャンルの空間デザインを手がけているので「色々やってる」としか言いようがない。それは結構器用なことだと思うので、冒頭の文脈でいえばどこかの業界が斜陽になったとしても、他の業界で生きていくことができる(何といっても世界がどれだけ進歩しても空間は無くならないわけだから)はずなのだけれど、

一方で器用貧乏というか、どれも中途半端みたいなところは大いにある。

その不安はずっとある。

 

どこかのジャンルを突き詰めているデザイナーは大勢いるけれど、その人たちにはどうやっても敵わない。絶対に敵わない。一つのことにかけた時間が違いすぎるからだ。どうやっても本職には敵いませんよ、という態度は気楽であると同時に少し虚しい。

 

 

 

 

思えば百姓(昔はヒャクセイと読んだ)という言葉は読んで字の如く、色々な仕事を兼任しているという意味だ。農作業だけでなく、物を運搬したり、草鞋を作ったり傘を売り歩いたりする。シーズンごとにできることをして報酬を得るわけだ。そういう生活の中では別に傘を作るクオリティが抜きん出ている必要はないから、ちょっとくらい傘の骨が歪だったりしても良かったんだと思う。おおらかな感じだ。

 

 

デザイナーの中では僕は百姓だと言えよう。何でも80点目指しまっせって感じだ。

 

 

百姓デザイナーは何か抜きん出ているわけではないから、どんな相談でも請け負うことができるけれど、インターネッツで世界中が繋がった今、120点出します!みたいな人に簡単に相談ができるようになったので、ひょっとしたらこれからむしろ仕事は減っていくことになるかもしれない。

 

一方で、やってみればわかることだけれど、優秀だとしても取引のしたことのない相手と仕事をするというのは非常にリスキーかつストレスがかかる動作なので、とりあえず百姓デザイナーに依頼して、別に百姓デザイナーが仕事を最後まで収めなかったとしても他の誰かにさらに依頼してそのクオリティを管理する、という方法が生き残るかもしれない。

それは未来がやってこないとなかなかわからない。