「真田丸」と考える"僕たちは何のために生まれてきたのか"
大河ドラマ
僕の実家では昔から家族みんなでNHK大河ドラマを観るのが習慣になっている。
今やっている「西郷どん」も面白いよね。
鹿児島のロケで丁寧に撮ったんだな、と感心しながら毎週観ている。
大河ドラマは歴史上の偉人ひとりを主人公に据えて、
その時代の大河を主人公と一緒に体験する物語だ。
織田信長は最初は尾張のうつけものと評判だったが、次々の戦で敵を打ち破り、あと一歩で天下というところで家臣に裏切られて死んでしまう。
豊臣秀吉は貧乏な百姓から草履番になり、人柄を武器にどんどん昇進して天下統一を果たす。
徳川家康は物心ついたときには既に人質だったが、激動の戦国時代を計略と忍耐で生き抜きながら最後には幕府を開く。
ほんとうに物語のような人生だと思う。
まあ物語のような人生だから大河ドラマになるのだけれど。
真田幸村の人生
そんな中、2016年に「真田丸」が放送された。
撮影が始まった2015年は真田幸村死没からちょうど400年後だったということを後から知った。僕は堺雅人が大好きなので毎週わくわくしながら観ていたのが記憶に新しい。
しかし真田幸村の人生は実のところ良くわかっていないらしい。
関ケ原の合戦以前、何をしていたのか史料に目立った働きが残っていないのだ。
大人になる元服が15歳~17歳で、
寿命は人生五十年と言われた時代だから遅咲きだと思う。
堺雅人がインタビューで語っていたとおり、
晩年になって大阪の陣で徳川家康を追い詰め、「日の本一のつわもの」とまで言われるようになる真田幸村は、その前に目立たず秀吉に仕えて仕事をこなすサラリーマンのような時期がけっこう長い。
(以前"コネ入社の楽しいサラリーマン生活"と評されていてさすがに笑ってしまった)
「真田丸」でもそれがうまいこと表現されていて、
自分の国を愛し、上司に一生懸命仕えて働くのだけれど、「自分は何のために生まれてきたのか」という問いに答えられず、「がんばってはいるけどこれでいいのか」とぼんやりと悩むシーンが印象に残った。
作中では真田幸村だけでなく、その兄・真田信之(大泉洋)も同じように悩んでいた。
宿命(さだめ)
そんな中、真田幸村が自分が「何のために生まれてきたのか」をようやく見つけて覚悟を決める回があるのだけれど、そのときの回想で出てきた草笛光子さん扮する祖母の言葉がとても印象的だった。
『人は誰も宿命を持って生まれてくる。遅いも早いもない。己が宿命に気付くか、気付かぬか。見ておるぞ婆は。怠るな。』
先月の日経新聞の「私の履歴書」は女優草笛光子さんだったが、彼女が大河ドラマ「真田丸」で演じた祖母役のセリフにハッとさせられた。『人は誰も宿命を持って生まれてくる。遅いも早いもない。
— ゆういち (@yuichi_gg) 2018年2月12日
己が宿命に気付くか、気付かぬか。見ておるぞ婆は。怠るな。』
この台詞にハッとさせられた人も多いのではないか。
真田幸村の宿命は豊臣家を守るために命を懸けて戦うことであり、真田信之の宿命は真田家を守り存続させることにあったのだった。
僕たちに「宿命」はあるのか
そしてその問いは視聴者である我々にも響く。
人が誰しも宿命を持って生まれてくるとして、
その宿命とは一体何なのか。
それは先にわかるものなのか、
あるいは死を目前にして「自分の宿命はこれだったのだな」と納得するものなのか。
はっきりと存在するものなのか、
あるいは自分で作り出していくしかないものなのか。
ひとつなのか、複数なのか。
漠然とした将来への不安を持つ僕たち20代は、
ひょっとしたらこの宿命を探して生きているのかもしれないとすら思う。
江戸時代、商人は商人として生き、百姓は百姓として生きて死んだ。身分も家柄も決められて宿命を全うするしかない時代だった。現代になって僕たちは自分の力で運命を切り拓くことができる。それなのに、自由であることが逆に僕たちを怖気づかせ、途方に暮れさせている構図かなのかもしれない。
— ゆういち (@yuichi_gg) 2018年2月12日
その昔、商人として生まれたら商人として生き、商人として死ぬかなかった。
それはウサギが犬になれず、馬が羊になれないのと同じくらい厳然とした社会のルールだったはずだ。
つまり、職業・生き方の観点から見れば「誰しも宿命を持って生まれてくる」ものだったと言える。商人には商人の宿命、武士には武士の宿命だ。
現代においては僕たちは将来を比較的自由に選択することが出来るし、教育の段階においてそうすることを奨励されてきた。そういった自由すぎる状況、多すぎるあらゆる選択肢を前にして、僕たちには宿命が見えない。
あるものなら教えてほしいとすら思っている。
また、自分のいる道を宿命だと決め込んで突き進むのにも勇気がいる。
あとになってから"違った"と思ってしまったら目も当てられないではないか。
またあらゆる分野においてイノベーションが起きて、刻一刻と状況が変化する現代において「私はこれで生きていく」と声高に宣言するのはとても難しい。
パソコンのスペシャリストになると言っても、20年後にはパソコンなんて存在しないかもしれない。最高のタクシードライバーになると言っても近い将来タクシーはすべて自動運転に切り替わる可能性が高いので職業そのものがなくなる危険性がある。
つまり総じて言ってしまえば、人生の土台である社会環境があまりにも急速に変化しているので、不安定な土台の上に長期的なライフプランを計画することが非常に難しい時代になっている。ということだ。
詳しくはまた別の回で述べるけれど、今でも十分早いテクノロジーの発展は今後さらに加速していくので、ますます長期的な計画が難しく/言い換えるなら役に立たなくなっていく。
また逆に言うならば、どんな時代になろうが絶対に必要となるもの「貯蓄」「人間関係」「健康」「活力」といったものの価値は比例して重要になっていくと考えることが出来る。
最後に蛇足で宿命に関してまとめるなら、個人的には
人生は自分の宿命を探す旅なのだ、くらいに捉えておけば良いと考えている。
つづく