鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

仕事のメールで「お世話になっております。」と入力している間はただの仕事のふり

 

「お世話になっております」というタイピングに5秒もかけるな

 

 

「作業はなるべくしない、仕事をするために」が僕の仕事のポリシーだ。

作業と仕事は全く異なる。

仕事とは価値の創出であり、作業はただの筋肉の運動、そして時間の浪費だ。

 

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昔、会社でやたらと残業している人がいて、

一度、横で作業を眺めていたら物凄い勢いでメールを打っていて、確かにその姿はバリバリ一生懸命仕事をしているように見えるのだけれど、そのタイピングは極めて不正確でミスが多く、出だしの「お世話になっております。」という文章に5秒もかかっていた。これが作業だ。

 

 

 

例えばお客さんと会う約束を取り付けるとして。

仕事はお客さんに会うことであり、その約束を取り付けることは作業と呼べるだろう。

作業は、そのものとしてなんの価値もない。約束を取り付けるための努力は価値の創出とは直接的には関係がない。

 

要はお客さんと会う約束が出来ればいいのであって、そして会った時に頑張ればいいのであって、その為の過程で忙しそうにキーボードを打つのはただの自己満足に過ぎない。極論を言えば約束を取り付ける方法はなんだっていいのだ。伝書鳩を飛ばそうが電話しようがテレパシーを使おうが....作業は最短距離を真剣に選びたい。

 

 

僕は残業続きの社員に「お世話になります、なんて定型文で毎日使うのだから、単語登録してすぐに呼び出せるようにしたら?」と言ったら「忙しくて登録なんて暇ないよ」と返されてしまった。

それで僕はそういう余計なお世話をかけるのを止すことに決めた。

 

 

「メールをお送りしましたのでご確認下さい。」という電話

 

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また別の話で、ある時集中して仕事をしていたら内線で電話がかかってきので出たら「先ほどメールをお送りしましたのでご確認ください。」と言われた。話はそれだけだった。よほど火急な用なのだろうとメールをみたら急ぎでもなんでもない連絡メールだった。

 

 

おそらく彼にとって仕事とは、一生懸命キーボードを叩いたりせわしなく電話をかけることなのだろう。もちろん、真に価値のある仕事のために一生懸命キーボードを叩き、せわしくなく電話をかける人もいるだろう。ただ少なくとも彼に関しては手段と目的が逆転しており、電話をかけてメールを送ったと伝えることが仕事だと思い込んでいるのだ。それは作業だ。そして作業である限り、仕事をしているふりだ。

 

だいたい、メールは電話というその瞬間相手の集中と時間を分断する行為を改善するために広まったツールなのではないのか。

 

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メールは後から自分の好きなタイミングで読むことができる。にも関わらず、それを送ったことを伝えるために電話するというのはどういう了見なのだろう。

下手すれば電話した後に直接僕のところにきて「念のため電話で話したことを直接お話ししますね」なんて言いにきそうだ。冗談でなく。

 

予測変換を

 

冒頭に書いた通り、僕は仕事をするために会社にきている。

だからそれを邪魔する作業はなるべく削っていきたい。

 

僕は「お世話になっております。表題の件について図面を修正しましたのでご確認のほどよろしくお願いいたします。」というメールを打つことが多いので、ある時PCの予測変換機能の登録で

 

「おせ」で「お世話になっております。」

「表題」で「表題の件について」

「修正」で「図面を修正いたしました」

「ごかく」で「ご確認のほどよろしくお願いいたします。」

「よろ」で「よろしくお願いいたします。」

 

と出るように登録をした。

 

これで随分メールの作業時間が削減されたのだけれど、

今は「ああ」と打てば「お世話になっております。表題の件について図面を修正しましたのでご確認のほどよろしくお願いいたします。」と出るように新しい登録をしてしまった。

 

 

デスクワークはついだらだらやってしまうので、ほとんどの仕事中僕はその作業のタイムを測っている。ストップウォッチはグーグルで「ストップウォッチ」と検索をかけると出てくる。これを画面の端に置いて作業を始める時にスタートさせる。

 

作業前に何分でその仕事が片付くかを予測する。「30分かな」と予測して仕事を始めて、その時間内に終わるように頑張る。時間がオーバーしたらしたで、その仕事に掛かる時間のサンプリングが新しく出来たと考えれば有意義だ。

 

時間を測りながら仕事をしているときは集中したいので内線の電話なんて取りたくない。「折り返します」と言ってさっさと切る。火急な人はそれを遮って「いや今話す」と言ってきたり、そもそも本当にやばかったら直接くるだろう。

 

集中量は一箇所にしか注げないのだから、同じ種類の仕事はいっぺんにやりたい。

仕事がAで電話がBだとしたら、くる電話に全て対応したら

AAABAABAAABAABという具合に仕事が分断されるだろう。

しかもその電話の内容の相談が別の仕事だったりした日には

AAABCAABDAAABCAABDという具合に集中力はさらに細切れにされてしまう。少なくとも僕はそういうのに耐えられない。だったら片っ端から電話は折り返すことにして、今集中している仕事がひと段落してから電話する時間を設けたい。

そうすれば集中力の配分は整理されて

AAAAAAAAAABCCBDDという具合になるだろう。

 

 

 

残念なことに、

こういう一連の僕が言っている仕事の進め方は世間一般では不真面目に見えるらしい。要は自分の仕事の時間を測ったり、かかってきた電話に即時対応しなかったり、やたらと決まりきった定型メールを打つことは楽をすることであり、要はズルすることであり、ひいては大変なことから逃げている卑怯なやつ、ということになるのだろうか。

 

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でも僕はある程度割り切っている。

もともと「頑張っている」と思われるのはあまり好きではない。頑張るのも好きじゃないし。いつも少し余裕を残している感じで、でも本人はきちんと全力を出し切って毎日試行錯誤している。そんな状態を維持して、うまいこと自己満足していきたい。評価は後からついて来ればいい程度に考えている。

 

 

おしまい