クラシックピアノがロックを抑制する
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「かめいさんと僕」
ズボラな美大卒デザイナーの僕は
折り目正しい一般大卒公務員のかめいさんに出会った。
僕は自分とは対照的なかめいさんに感銘を受け、
会話やインタビューを通して多くのことを学ぼうとする。
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かめいさんはピアノを弾く。
3歳からずっと習っていたらしい。
僕は同じく3歳の頃ヤマハ音楽教室の体験授業で
散々ふざけた末に出禁になった過去があるので
音楽ができる人に強い憧れがある。
まぁそれはいいとして、
かめいさんのご両親はロッカーである。
ロックンロールが好きな二人の間に生まれたかめいさんは
どうしてロッカーにならなかったのだろう?
ギターの弦をかきむしって世界を変えたり、
ドラムを高速で叩いて箱のビートを刻みまくったりしても
不思議じゃなかっただろうに、と思う。
「どうしてかめいさんはロッカーにならなかったの」ときいてみたら
「僕はずっとピアノがあったからなぁ」とのことだった。
ピアノがあったから彼はロックンロールにならなかったのだ。
これは友人・鶴の受け売りなのだけれど、
クラシックピアノは正確に間違いなく鍵盤を叩くことが求められる。
よって指先に力が入った状態で練習し続けるようになるため
次第に第一関節が曲がってくるのだそうだ。
そういえば小学校の音楽の先生も指の第一関節が
曲がっているのを見せてくれた。
第一関節を曲げてしっかり鍵盤を叩くことが染み付いていると
ジャズミュージックのような演奏が難しくなるのかもしれない。と
考えてみる。
全ては想像の域を出ないけれど、
クラシックピアノは形式と作法の世界だ。
ジャズやロックのようにその時の気分で気まぐれなコードに変調したり全然脈絡のない音を出すのはご法度だろう。
つまり、クラシックは身体的・精神的の両面でジャズ的・ロック的要素を抑制する
と考えてみることができる。
もちろんクラシックピアノをやりながらロックミュージックをやる人はいるだろうし、ジャズをやる人だっているだろう。ただ、心身の移行はスムーズではない状況は想像に難しくない。
僕は逆にどうだろう。何かの練習をし続けたことで身体的に変わったことはほとんどないけれど、バドミントンをやっていたので右の肘周りの筋肉だけ大きいとか。
これって何かを抑制するのかなぁ。
形式に入るということは別の形式から遠ざかることで、つまりはクラシックとジャズを同時に習うというのはひょっとしたら効率が悪いことなのかもしれない。
なんてことを考えながら
僕はピアノを弾くことができない。
弾けないピアノと弾ける人との関係性について
よくもここまで無責任に文章をかけるものだと
自分に感心している。
続くよ!