ほぼ日手帳(鞄の中身公開③)
鞄に入れておくものの中で欠かせないものの一つが"ほぼ日手帳"だ。
ロフト売れ行き実績10年連続No.1。
ほぼ日手帳は単に優れた手帳であるだけでなく、ユーザー同士が持っているだけで話しかけたくなるような、愛おしい道具だ。
この手帳をかれこれ6年使っている。
手帳との関係は歳を重ねる毎に少しずつ変わっていく。それを見渡すことが出来るのも手帳の醍醐味のひとつだと思う。ほぼ日手帳は1日1ページだから、2000日がこの中にあると考えるとぞくぞくする。
どうしてこの手帳を使い続けるのかと訊かれることがあって、勿論いい点が沢山あるからっていうのはあるんだけど、去年使っていたから今年も使うっていうのも立派な理由の一つだ。毎年違う手帳なんて使っていたら見返したときに全然面白くない。手帳をころころ変えるくらいだったら僕はチラシの裏をホチキスで閉じて手帳にしてしまうと思う。そのくらい手帳をころころ変えるのに抵抗がある。
「そんなに手帳って見返すか?」「面白いのか?」という人がいるかもしれないので、僕が失恋したときのページを見ていただきたい。
凄惨である。
これは極端な例にしても、一日一日が僕にとってはドラマで、そんな毎日を手帳と共に生きるのはやはり尊い。これからも手帳は紙媒体を使っていきたいと思う。同期とかクラウドとか、そんなものは必要ないのだ。(この記事の写真はEvernoteのクラウドサービスの助けで貼っているというオチもある。)
馬鹿の考えることはわからない。
さすがに6年前の手帳の内容なんていちいち覚えていない。他人の手帳でも読んでいるような面白さがある。使い方が整然としていなければいないほど手帳は見返すのが楽しい。手帳の中でくらい、ぐちゃぐちゃと乱雑に、適当に、やりたいようにさせて欲しい。
何でもかんでも貼っていた2010年は手帳が重くて仕方がなかった。あと膨らんで使いづらかった。でも使い切ったときに「今年の一年は最高に充実していた。」と満足することが出来た。でももうこんな風にはしないけどね。ほぼ日手帳は元々重いから軽さを考えるのは大切なことだ。
2009年は美大受験の年だった。手帳の中身も必然的にデッサンの反省とか、色彩構成のエスキースが主になる。
メモが足りないときはページを継ぎ足す。
未だに、どうしてこれだけ反省していたのにデッサンが伸びずへたくそなままだったのか、自分でもわからない。
毎年新しい手帳はカバーと一緒に買うので必然的に毎年1つカバーが増えることになる。同じ手帳を使っているので当然互換性があり、これを着せかるのも楽しい。けっこう定期的に気分でカバーを変える。つらいときは明るい色にするし、大切な人に会うときはかっちりしたものにするし、バタバタしているときは頑丈な革のものをつける。
こういうことをしていると手帳を毎月買い替えているような新鮮さがあって飽きない。
最近はこんな感じ。毎日別で手帳を使っているのと、日記もまた別に毎日つけているので棲み分けの問題でかなり使い方は落ち着いてきた感じがする。
マスキングテープを沢山もっているのでついつい色々貼りすぎてしまう。
今日のページはここ。昨日は「まほろ駅前狂想曲」を観た。
ほぼ日手帳2015も発売されて、どのカバーにしようかウンウン悩んでいるところだ。ちゃんとガイドブックも買って(毎年ほぼ日ユーザーのためのカタログのようなものが出る)悩むことを楽しむ。今は先輩に貸していて、その先輩も楽しみながら悩んでいるようだ。
ほぼ日はとにかく「好き」なので以前に詳しく書いた記事があったのでリンクを貼っておくので是非読んで欲しい。先ほどちょっと触れたメモ帳・ネタ帳(Traveler's note)と日記帳(Moleskine)にも言及しています。