鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

インテリアコーディネーターの資格本

 

今日インテリアコーディネーターの教本がどっさりと届いた。メルカリで安かったので買ったものだ。全部で本来4万円?くらいするのに8千円だったのだ。

開けてみるとすごい量だ。段ボール一箱分くらいある。

 

分厚い教本3冊と、問題集3冊と、参考資料と、過去問題と....全体を確認するだけで一苦労だった。「こういう教科書って見ているだけでワクワクしない?」と正面で様子を見ていた母が頬杖をつきながら言ったが、あんまりそうは思わなかった。

 

試験に関していえば今年の受付はもう終了してしまったから、次受けるとしたらちょうど1年後になる。ネット上でブログを漁ってみると1年勉強すれば十分らしい。まあ、1年じゃ不十分な資格試験なんて根気が続かないと思うので助かる....。

 

それで、来年のインテリアコーディネーターの試験に向けて1年間勉強する運びとなった。動機としては「教本がメルカリで安く売ってたから」だ。他にも仕事に直結して役に立ちそうだとか、資格を持っていれば肩書き?に箔が付くだとか、理由は色々後付けできそうなものだけれど、実際の動機としてはもっとこう...適当で、何となく、という感じだ。

 

実際問題として、働きながら資格勉強してる人って本当にすごいと思う。尊敬する。

そんな出来た大人になれる気がしない。僕にもなれるだろうか。自信がない。

そういう、ダブルワークっていうか、本業の他の余暇にもエネルギーを発揮して打ち込んでる人はクールだ。例えば働きながら休みの日はボランティアをしているとか、昼間は大学生だけど夜は水商売してるとか。子育てをしながら町内会で積極的に仕事をしているとか。だいたい、僕の場合は仕事が空間デザイナーだから、要はインテリアコーディネーターみたいなものだ。家具の選定もすれば図面だって引く。建築の構造だってある程度は理解しているつもりだ。だから仕事をして、帰ってきてからまた仕事をしているような気になってしまうかもしれない。

 

これがもっと昆虫図鑑を勉強するとか、塗り絵をやってみるとか、そういうのだったら気持ちをスイッチして楽しめると思うのだけれど、仕事と勉強の内容があまりにも重複しているのでやっていけるかなあと不安になるのだ。

その一方で、「いや、仕事とそれだけ重複していると主張されるのでしたら、さぞかし様々な知識をお持ちなのでしょうから、その分厚い教科書の群れもバタバタとなぎ倒して、さっさとクリアできるんでしょうね?」といううちなる声が聞こえる。これは鈴木ユートピアではない。鈴木ディストピアの声だ。

 

確かに、教科書をぱらぱらと眺める限り、「そんなの知ってらあ」という範囲も散見され、しかし同時に「知ってら.....あ?こんなに種類あったの?」と二度見するような箇所も多い。例えば木材の種類で言えば、ウォールナット・ブナ・マホガニー・スギなどは知っていたけれど、ベイヒ・ヒバ・スプルスなんてのは使ったことがないどころか聞いたこともない。

 

結局のところデザイナーなんてのは資格なんてなくても誰でもなれるので、とにかく業界にはピンからキリまでいる。ひどいのは本当にひどい。美大2年生よりひどいやつが平気でデザイナーを名乗っていたりすると暗澹とした気持ちになってくる。

では、自分はどうなのだろう。デザイナーとして例えばお客さんに家具の木材をお勧めするときに「ウォールナットやブナ、マホガニーがありますよ」と口にすれば「さすがデザイナー、色々な木を知っているんだなあ」と感心してもらえるかもしれないが、僕がベイヒ・ヒバ・スプルスを知らない限り、お客さんもその提案を受けることができないのだ。それはお客さんが気の毒だなあと思う。

 

そう考えると空間デザイナーなのだから、空間デザイナーとして知識がかぶっている何らかの資格を取っておけば、「少なくともこの辺りの知識は網羅しているのでその辺のニワカとは違いまっせ」と胸を張れるかもしれぬと思う。

 

そういうわけで、自分がこれまで独学で培った知識がどの程度役に立つのか、またインテリアコーディネーターとしては自分はどの程度の知識を持っているのかを把握するためにも資格試験を1年間頑張ろうと思う。

 

とりあえずはそんな気持ち。

 

 

おしまい