鈴木ユートピア

31歳、写真、キャンプ、バイク、旅

伊予柑を頬張る

 

今日はふるさと納税で鹿児島県から「タンカン」という柑橘類が届く日だったので、日中からそれが楽しみで仕方がなく、なんだか胃が柑橘類を待っている心持ちで過ごした。昼休みになって無性にビタミンCを接種したい気持ちになり、セブンイレブンでオレンジジュースのパックを買って飲んだ。これで満足、とまではいかないまでも溜飲が下がった。

 

それから仕事を終えて家に帰り、タンカンを待った。しかし、時間指定の19時を過ぎてもタンカンは来ず、ついに指定の終点である21時を過ぎてもタンカンは届かなかった。クロネコヤマトの追跡を確認すると、まだ大阪からこちらの任意の営業所まで輸送している最中のようで、どう足掻いても今日タンカンが届くことはない、ということだけがわかった。

 

届かないものは仕方がないので、今日届かなければ明日届くでしょうと大らかな気分で読書でもするか、と思っていたのだけれど、やはり胃が柑橘類待ちになっているせいでどうにも落ち着かない。どうしても柑橘類が食べたい。もはやタンカンである必要はなく、ブンタンだろうがポンカンだろうが、なんでもいいから柑橘類が食べたくて仕方がなくなってしまった。手元にないなら、余計に食べたいと思う。

 

21時を過ぎればスーパーもやっていないので、100円ローソンに出かけて行って、最初は店頭に置いてあった八朔を手に取ってレジに持っていこうかと思ったのだけれど、確か八朔は皮が結構分厚くて、どちらかといえば包丁で皮をカットして、さらに中の皮もむいて食べる方向のやつじゃなかったかしら?と思い、それを元の棚に戻した。

それから店内を散策するうちに伊予柑を発見して3個買った。1個100円だったから3個で300円だった。家に帰って一つを母に献上した。母は無類の柑橘類好きなのだ。「いくらだった?払うよ」と言われたので「1,600円だった」というと「そんなわけないでしょ」と言って笑った。

それか僕は伊予柑をむしゃむしゃと食べた。甘味もありつつも酸味が強く、しかし舌を刺激するほどの強烈さはなくなかなか食べやすかった。あっという間にペロリと伊予柑を2個完食してしまった。非常に美味しかった。

バイクで通勤

 

バイクで通勤している。

スズキのアドレス110というバイクに乗っている。

いわゆる「おばちゃんのバイク」といった見た目で、どこにあっても目立たないというか、多分バイクに興味がない人がみても「あーよくあるよねこのバイク」くらいの言われ方はするのではないかと思う。ありふれたバイクである。

 

以前は50ccの原付で通勤していたのだけれど、左折巻き込み事故にあって全損した。それをきっかけにアドレス110に買い替えて今に至る。

50ccは場合によっては危ない。非力すぎる。その辺のドラッグストアとか、コンビニにいくだけなら良いけれど、僕は大きい国道を経由して会社に行くので、大型トラックやバスがびゅんびゅん走る中で時速30kmで「ビィーン」と走っていても危ないだけなのだ。

 

50ccを全損させて、次のバイクを買うときに僕には様々な選択肢があった。

僕は大型バイクも持っていたから、そのバイクで通勤するのも手だった。あるいは、アドレス110などではなくて、125ccのスポーツっぽい見た目のバイクを買うとか、あるいはクラシカルな雰囲気のスーパーカブを買うとか、選択肢は1つではなかったはずだ。ただ結局通勤時間が15分と短いことや、ストップアンドゴーが非常に多いこと、すり抜けが多いこと、渋滞することもあること等あらゆる要素を考慮するとアドレス110になってしまったのだ。僕が思うに大抵のことはあらゆる要素を考慮しすぎるとつまらない着地になるのものなのだ。僕たちが好むと好まざるとに関わらず。

 

大人として、色々考慮した結果のモノをチョイスするのが正しさなのか。

というのは最近疑問だ。特にバイクなんかは、基本的には嗜好品であるから、多少燃費が悪かったり乗り心地が良くなかったりしても、「でもこのエンジン音がたまらないぜ」とか「それでもこの相棒を長らく乗っているから俺はこいつしかいないぜ」なんて言って乗っていればいい気がする。そういう嗜好品の領域について「燃費はどうだろうか」「耐久性はどうか」などと考慮しすぎることがそもそも無粋なのだと思う。大型バイクは突き詰めれば「クルマ乗れば?」になるし、小型バイクは突き詰めれば「原付のれば?」になってしまう。

 

もっと無駄を愛すべきだ。コスパを最優先にして、僕はあまりにもショートカットをしすぎてしまった。僕が僕に求めているのはおそらく抜け道ではなく回り道なのだ。

 

おしまい

 

筆箱を買い替えたはなし

 

東急ハンズで新しい筆箱を買った。

新しい筆箱を買ったのは古い筆箱が壊れたからだ。他の人がどうかはわからないけれど、筆箱なんてものは壊れない限りなかなか買い替える気にはならない。だから、多くの人にとって筆箱を買うというのは少し珍しいイベントなのではないかと想像する。傘を買うのとか、ゴミ箱を買うのに似ている。

 

古い筆箱は結構気に入って重宝していたので壊れた時はちょっとショックだった。気に入っていたのであれば同じものを買えばいいのにと思われるかも知れないが、1年くらい使っていて壊れたので、強度に対する信頼性が落ちてしまい、同じ買い物をする気になれなくなってしまった。(後述するけれど結果的に筆箱が悪いのではなく、僕の使い方が悪いだけだった)

 

その古い筆箱は、透明なビニールにファスナーが付いている簡単なつくりのもので1年ほど使っていたらビニール部分が割れて中のペンが溢れ出るようになってしまった。応急処置として養生テープで補修してあるけれど、これはこれでみっともない。

僕は小学生ではないので筆箱を友達に見せびらかす機会はないのだけれど、とはいえ養生テープで補修された筆箱をみるたびに侘しい気持ちになるので、早いうちに買い替えないといけないと思っていたところだったのだ。

 

↑今回引退することになった古い筆箱。中のペンが一目瞭然なので非常に気に入って使用していた。

 

僕はこの件でビニールの筆箱の脆弱さを呪ったが、考えてみると中に差金(金属製の鋭利な定規)を裸のまま入れている僕が悪いのかも知れない。定規が内側からビニールを突き破ってしまったのかも知れない。だって、いくらビニール製の安物とはいえ筆箱が1年で壊れるなんて不自然な話だ。リコールになってもいいくらいじゃないか。

いずれにせよ、筆箱が壊れてしまっている以上、新しいものに買い替えるほかない。

 

さて、東急ハンズの筆箱コーナーを見てみると色々な種類の筆箱が並んでいて目が回りそうになる。なんだっけ。たしか売り物の選択肢が多すぎると、選択するストレスを消費者に与えるので逆に購買意欲が下がる心理学の実験があった気がする。あれはジャムを使った実験だったと思う。

 

筆箱の中には僕が今使っているビニールの筆箱もあった。「お前は破けたりするから、だめ」と心の中でつぶやく。それ以外の筆箱で目立っていたのは、チャックになっていて、バナナのように半分剥くと自律したペン立てに変身するという触れ込みの筆箱だ。これはよく考えていると感心するのだけれど、しかしいまいち食指が動かない。この筆箱を見ていると、ちょっと手や肘が当たって、中のペンが倒れて飛び出してしまうさまが思い浮かんでしまうのだ。僕は比較的不注意な人間なので、コーヒーカップを倒したり、皿を落として割ったりしたことが少なくない。だから、自然とそういうミスが起こりうる物体をみると無意識に身構えてしまうところがある。つまりは、このペン立てに変身する筆箱は、素晴らしい製品なのだけれど、僕に対しては一種の緊張感を与えるのであった。

 

結局、筆箱はペン立てになる仕様のものではなく、コーデュラのペンポーチを購入した。ペンポーチって生まれて初めて使う言葉だ。なんだか音の感じが間抜けな感じがして口に出したくない日本語だ。ペンポーチ。

前回差金にペンケースを破られたから、今回は丈夫なコーデュラの筆箱を買うあたりがいかにも安直な人間みたいな感じがしてちょっと落ち込みそうになるけれど、コーデュラの筆箱は見た目がなかなかスタイリッシュなのでこれはこれで良いことにする。

 

↑コーデュラのペンポーチは表面が立体裁断みたいになっていて、スタイリッシュで格好いい。立体裁断によって面に膨らみができるので収納力も高い。知らんけど。

 

 

早速筆箱から筆箱へ、筆記具のお引越し作業を始める。

ペンポーチは大仰な名前をしているくせに、格納性が高いかというと決して高いわけではない。道具を小分けにしてきっちり整理する能力に優れているけれど、あれもこれもぎっちり入るわけではない、という印象。前のペンケースみたいにザクザクと筆記具を突っ込んでいくスタイルも好きだけれど、今回のペンポーチのようにゴムバンドでペンを1本ずつ綺麗に収納していく作業も嫌いではないので、良いかな、と思う。

 

結果としてペンケースがペンポーチになり、堅牢性が上がり、入れられるペンの本数が減り、中身は整理されるようになった。前から筆箱の中でペン同士がガチャガチャとぶつかり、中のペンがいつの間にか傷だらけになっていることが散見されていたので結果的にこれで良かったのかも知れない。あとの使い勝手はしばらく使ってみないことには見えてこないに決まっているので、今後運用してみながら様子を見ようと思う。

 

おしまい

 

 

ミロコマチコさんの画集、ポチる

今週のお題「手づくり」

 

mirocomachiko-cm.exhibit.jp

 

ミロコマチコさんの画集を買いました。

今日届くっぽい。めちゃくちゃ楽しみ。

 

ミロコマチコさんは奄美大島在住の作家さんで元々関西の人だったんだけど、奄美大島に行ったらめっちゃ気に入って移住されたんだって。

 

動物の絵が多いイメージ。その動物がすごい魅力的で。

色も形も躍動していていつまでも見ていたい....。

 

でも今の所スマホ画面でしか見たことがなくて。それで画集を買いました。

あ、そういえば今ちょうど展示やってるんじゃなかったかしら??と思って調べてみたら横浜の展示は2/5までだった。残念。

 

こんなふうに絵を描けたらいいな、と思いました

 

 

 

 

カメラをガシガシ使うこと

 

今日は結婚式に出席して、一眼レフカメラを持参していたので1200枚くらい写真を撮った。もうとにかく撮った。撮りまくった。新郎新婦に渡す写真だから、半ば義務感とか責任感もあったわけだけど、それでも楽しんで撮ったと思う。

 

EOS Rの24-105のみで臨んだけれど、これで十分だったかな。単焦点を持っていくか最後まで迷ったけど、結婚式でカチャカチャレンズ交換するくらいなら本体2台買うよね。(めっちゃお金もったいないけど)何やかんや仕事のためにカメラを買い替えたわけだけど撮る機会がなかなかやってこなくて、ハードユースしたのはこの結婚式が初ということになる。だから、なんというかカメラも喜んでいる感じがした。

イキイキしているというか。ただのインテリアの一部として1ヶ月くらい過ごさせてしまったので、本人も自分がカメラだということを思い出して、めいいっぱい仕事をしている...そんな感じだった。

 

バイクや車は乗り続けることでエンジンが好調になっていくらしい。

カメラがそうとは到底思えないけれど、それでも埃を被りっぱなしのカメラよりも、毎日ハードにガシガシ使っているカメラの方が良い絵を吐き出してくれるんじゃないかという気持ちになる。

 

これからも遠慮せずにどんどんカメラを使ってあげたい。そう思った。

 

 

仕事から精神を引き剥がして

 

 

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蓼科にスキーに来ている。

 

寒波でめっちゃ寒いけど、

久しぶりに遊ぶことができて楽しい。

 

 

気温は-12度くらい。

 

顔全体を覆わないと痺れてくるくらいには寒い。

 

このところは仕事と遊びの間が良くも悪くも曖昧になって、たとえば残業して帰ってきて、「さて...仕事でもするか」といって仕事し始めてしまう始末だったりして。

 

別に仕事も楽しいからいいんだけど!

 

こういう風に余暇や休みでも仕事してしまうようなタイプの人は、無理やり仕事から引き剥がすしかないんじゃないかと思う。

 

それは、例えばスポーツだ。

 

 

さすがにスキーでびゅんびゅんスピードを出しているときに「あの仕事そういえば返信大丈夫だったか、、?」とか思い出したりしない。

 

そんな場合じゃない。

 

そんな場合じゃない状況をわざわざ作り出さないと仕事を考えてしまう。

 

寒空を仰ぎ見て「晴れてよかったなー」って呟いたりしてるときに、精神的に救われてる感じがする。

 

その瞬間は、スポーツのほかには散歩、キャンプ、工作、絵画、読書、洗濯、掃除、バイクなど、集中力を求められるものが多いだろうと思う。

 

仕事は仕事として楽しいけれど、だからこそ歯止めが効かず延々とやってしまうところがあるのでたまにはこんな風にして自分を仕事から「引き剥がして」遊ぶことに集中するというのはライフサイクルに組み込みたいと思っている。

 

 

職場での噂話

今週のお題「マメ」

 

会社で助けてもらった女の子にセブンイレブンでお菓子を買って「こないだはありがとうございました」ってメモつけて置いといたら会社で一気に噂になって広がったらしい。「えっ鈴木くんってもしかして...あの子のこと好きなの????」みたいな。

くっそバカみてー!と思って笑ってたんだけど段々腹が立って、プンスカした。そして結果的に僕は焼肉を食べた。

 

会社には色々な人材がいて、概ね多くの人が一生懸命働いている。

だけど噂話が凄まじい。忙しく働いているように見えるのに、暇なのかな、と思う。

僕は仕事が楽しいし、一生懸命働いているので、他人の噂話をしている暇はない。だから、同じ職場でそういう話があると(しかもそれに巻き込まれると)焼肉を食べざるを得ないという寸法である。